光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

「寺田寅彦」 ちくま日本文学全集

ここのところ、岡潔という数学者の本を読んでいて、そんでよく出てくるのが寺田寅彦。気になったのでその本を手に取った。

 

寺田寅彦 (ちくま日本文学 34)

寺田寅彦 (ちくま日本文学 34)

 

 この肝臓の悪そうな顔色をした人が、寺田寅彦である。
自分は詳しくは知らないが、物理学者として大きな功績を遺した人らしい。その才能は理系分野に留まらず、筆の才能もあって数々の随筆を残したそうだ。そんで、この本がそのベストアルバム、って感じである。

図書館で借りて、ということは返却というものがつきもので、そんなものは無視しようと思えば無視することもできるのだが、そうするとこんだ「ならず者」として負の烙印を押されてしまう。それは嫌だなあ、ということでそこは従順に返却したので、この本はもう手元にない。
がしかし、心に残る話があったので、それをば記す。

 

ひとつは、日本語の美しさである。
とかってえと、「てめえは日本語のなんたるかを知っているかような口ぶりだが、出鱈目いうねえ。美しさだと。はっ。笑わせるねえ」と江戸弁でたたみかける人がいる。っていうかそれは脳内のもう一人の自分なのだが、確かに日本語の美しさ、なーんて知っているような学識・知見はない。
それでもやはり、美しいと感じてしまった。「団栗」という冒頭の話である。

この話は彼と夭折した妻の実話を基にして書いたものらしく、調べてみるとかなり有名な話らしい。
病弱な妻と共に過ごす日々を、その時に見た景色や天気、感じたことを交えて時に抒情的に、時に写実的に描く。どの一文も無駄がなく、簡潔かつ豊富な示唆を含んで文章がつづられている。

特に魅かれるのは、植物園に行くくだりである。

植物園の門をはいってまっすぐに広いたらたら坂を上って左に折れる。穏やかな日光が広い園いっぱいになって、花も緑もない地盤はさながら眠ったようである。温室の白塗りがキラキラするようでその前に二三人ふところ手をして窓から中をのぞく人影が見えるばかり、噴水も出ていぬ。睡蓮もまだつめたい泥の底に真夏の雲の影を待っている。

                           ページ数失念

最後の睡蓮の描写に、なんとも言えない奥ゆかしさがある。
それまでの淡々とした目に入るものの説明とは対比的で、花咲く時期をまちわびる睡蓮の気持ち、というと「睡蓮に気持ちなんてあるかい」てなものかもしれないが、夏を願う睡蓮と妻の健康を願う著者の思いが重なるようで、この部分はいじらしいことこの上ない。

 

他に、草刈りの話、自画像の話、化け物の話なども面白い。とても一世紀近くも昔に書かれたものとは思えない読みやすさである。時の洗礼を受けてなお残る、凛とした風情があった。
時代といえば、最後の「天災と国防」の話だ。今の日本の在り方に対して非常に示唆的な内容になっていることは多くの識者が指摘していて、もはや自分なんぞが語ることなどないが、思うのは政府高官や世のエリートとされる人たちはこの話を読んでいなかったのか、ということである。読んでいてもなお、というのであれば、それはげっつく切ないことであるよなあ。