光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

「火の精神分析」 ガストン・バシュラール

最近。
木枯らしの吹く冬が過ぎ去り、天下は草木も喜ぶ春満開、よきかな。
っつー雰囲気が蔓延していて、それは自分方も例外ではない。着るものは日に日に軽くなり、庭には名も知らぬ草草がおいおい茂り、蝶々が飛びヒバリも飛ぶ、うららかとしか言いようがない季節になった。

ということで、最近は使わなくなっているのだが、自分は先の冬を乗り越えるために、薪ストーブという代物で日々の暖を取っていた。薪ストーブというくらいだから燃やすものは、薪。これはまあ言ってしまえば、家の中で比較的安全なたき火をするようなもので、メラメラと燃える実際の火、というものを毎日見ていたのです。独りで。

炎のチロチロ、あるいはふやふやと動き回るヒダや、炭となり赤黒く熱を発する薪をぼんやりと見ているのは、なんとも不思議な思いがするものでした。火に炎に、なんとなく魅かれ見ている自分がいる。
「そういや改めて考えるに、火ってなんなんじゃろなあ。なんでこんなに見てしまうんじゃろうなあ。なあ。」
ということで、火の本をば読んでみよう。っつってこの一冊。

 

明大の斎藤孝教授がオススメしていた本。


読了感として、んまああ難しかった。普段、こういった論文調の著作を読まないもので、文章の堅さとか用語に慣れておらず、そんな自分にとっては、ほげええ!という印象だった。ほげええ!というのは心の叫びぞなもし。

つっても、そこまで分からなかったのは本の中盤あたりで、はじめの方と終わりの方はなんとなく言っていることが分かったような気もする。ていうかそのくらいは分からせて欲しい、というのが僕わたしの願い。

 

 ・本の中身

中身というか、自分が感じ得たことは「火とは生の中に死を、死の中に生を内包するややっこしくも魅力的なナイスな奴である」ということである。

これ、どういうことなのか。
火は、ふたかけらの木の息子であった。」という神話についての記述がある。二本の枯れ木を擦り合わせることで摩擦熱が生じ、その結果、火が生まれるということだ。
この例えは非常に示唆的で、次のことが気にかかる。

1、生まれた火が二本の木を燃やし尽くしてしまうこと
2、擦り合わせることによって火が生まれること

1は、エディプスコンプレックスを如実に表しており、2は性的体験を想起させる。
ということは、火とは生殖活動の観念的な存在でもあって、人間の存在・生存に非常に深い所で響き合う。

思えば、火は様々なものに表象される。
いきいきとしていることを「命のほのおが燃えている」と表現するし、「二人は燃えるような恋に焦がれていた」と恋愛に夢中になる男女の姿を描く。また、「彼はその背後に、まるで炎のように燃える野心を秘めていた」という記述も見かけることがある。

また火は、光と熱とに分かれる。
光が視覚によって感知される外感的な火の作用である一方、熱はその内部に入り込み、おぼろげな存在となってその身体に残る。
視覚的に入ってくる光はもちろん確とした刺激として認知できるが、目を閉じたり視線を映せばその刺激はもはや刺激でない。その点、熱は光以上に強烈で確かな刺激である。目を閉じようと、どこへ行こうと何をしようと、その熱は身体に残り、その者を内から温め、生を支える。内側から感ずることは、外側を感ずることを凌駕する、という。

これは、もうイメージの次元の話になるが、感ずる欲求が見る欲求を圧倒していること、それが芸術というものであるらしい。内的な熱と熱とが図らずも感知しあう。僕はそれは、大事なことだと思う。

人が熱を感じる時、それは色んな場面であることだが、愛するという行為・感情にはとりわけ強くどこまでも付いて回る。
人が人をいつくしむ時、自然と愛撫し、抱きしめ、その熱を感じようとする。相手のぬくもりを感じて、安堵する。心とやらに灯りが灯る。それは、人間の情愛と性愛が深い所で結びつき、我々が火とその熱・光によって生かされているのだということを実感する瞬間である。

わたしが生きていると、直接的に生きていると認めるものは、私が熱いと認めるものなのである。熱は物体の豊かさと永続性の最上のしるしである。それだけが生命の強さに、存在の強さに直接の意味を与えるのだ。内的な火の強さに比べれば、われわれが知覚する他の強さはなんとゆるやかで、惰性的で、静止的で、そして無目的であることか。

                         第7章 200ページ


火はそうした生命の生命たるゆえんを支持するものであるが、一方で死に向かう性質も併せ持つ。
地獄・あの世のイメージには焦熱・煉獄の炎がつきものであるし、火によって燃えることはすなわち死である。

なんつって、この事に関する話はあまり覚えていない。片腹痛い。
ただ、火の燃焼はそれ自体で生と死の権化でもあると思う。
火がついて、消える。熱を帯びて、冷める。生きて、死ぬ。
人が生まれ、生きて、恋愛に身を焦がし、その熱は愛として熱となって残り、あるいは熱が冷めて愛が終わる。そしていつしか、命の火が消える。人間の生のダイナミズムが、火・炎にはエッセンスとして凝縮されている。
ゆえに、人はその赤く煌々とした揺らめきに魅かれてしまうのではないか、感じてしまうのではないか。ということで、火はナイスな奴である。

 

 

この本を書いたガストン・バシュラールという人は、フランスの哲学者らしいのだが、火の他にも水や大気といった自然界にあるものと、人間の夢想・想像とに関する著作を発表している。
科学的に、理科系的に、合理的理性的につきつめる自然科学と、それに比べれば曖昧でファジイな哲学・思想とを合わせて考え抜いたすごい人である。
他の著作も読んでみたい、そんなガストン・バシュラール

難しいんだろうけどにー。