光る水面のドブイナジー

読んだ本とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

ガラパゴスゾウガメの背中に載って

ここ最近更新がないのはひとえに、なんだか書く気やる気がなくなった、ちゅうことなんだす。チュコトっていう地名がどっかしらの国にあったなあ。そういえば。

チュコトで、なんで書く気やる気がなくなったのか。なんでて、それは分からない。自分のことなのに分からないなんて、そんなおかしな話があるかね、と会社の役員クラスの人は言うかもしれない。

いやしかし、と僕は恐る恐る恐れながら恐れ入りつつ少しばかり反駁したい。なんとなれば、この世で分からないものはそりゃ星の数ほどあるが、その最たるものが自分という何者かについてなんだす。なんだすなあ。


とここで、更新が止まった頃、時期というのを考えてみると、それは痔の手術をして退院したくらいからなんではないか。
という推測がでてきたんだす。

まあこの頃も更新をするにはしてたんだけど、思考の漏洩ばかりで、特に書評ちゅうか本のアウトプットがなくなってしまったんだすな。
読んでるんだけどね、本。
読むんだけど、「なんか、この本は別に書評書かなくてもいいんと違うかね。いや書けと言われれば書くけども」というネガティヴな感じになってしまい、そんな自分を嫌悪し、しかも別に誰も書けと言う人はいないので書かなかった、書けなかった。
というわけなんだす。

これをさして人は、怠け者あるいは半端者、となじるに違いない。
確かに怠け者かつ半端者であることは否定できないのが悲しいところなのですが、もう一つ原因があると思うのですな。
痔の手術を境にモチベシオンがなくなっているところに注目してみると、新しい推測がたてられるのです。
それつまり、肛門付近にはアウトプットに関するモチベシオンを分泌する細胞またはなにかしらの生体的な何か、が在ったのではないか。
ということです。

して、手術をしてその部分を切除してしまったため、読書のアウトプットモチベシオンまで切除されてしまったのではないかと。


わちゃー。

とか言いつつも、内心そんなにわちゃあと思っていないのがホンネ。もっとわちゃあなことがある。
というのも、こないだある新聞社の最終面接やらをひっそりと受けてきたのだけど、その後一向に連絡がなく、おそらくは不採用。
こっちについては心の底からわちゃあ、と叫びたい。心が叫びたがってるんだ。とかいう映画があったが、そういう気持ち。

エレジィを歌いたい。