光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

入院日記2 乙一「天帝妖狐」

自分は想像力の乏しい男で、それが露骨に出たのが最近。何が、っていうと病院で読書が全く捗らないということ。
入院というのは自分にとって未知なるものであったので、その道の先人に「入院て実際どんなもんなの」と聞いてみたところ、「暇で暇でともすれば暇だから、本でも持って行くといいよ」とのことだった。
これはしめた、と思ったのは自分。普段から本を読むか薪を割るかしかしていない自分であったが、薪を割らない生活では本を読むのみである。しかも、病院は火をおこして暖をとる必要も、冷水で米を研ぐ必要も、水道管が壊れているためにいちいち水を使う段になって元栓を開け閉めする必要もない、とのことだった。
天国のようなところではないですか、あなた。
そう思って天国に行き着いたのが去る8日。


地獄である。もとい、地獄である、とは何かと世話を焼いてくれる病院の人に申し訳ないので、男を捨てて前言撤回したい。地獄のような痛みが9日の手術後から続いている。
そんなことを言うと、「あなた、地獄行ったことあるんですか」と言う人があるかもしれないが、とりあえず僕は地獄に行ったことはまだない。
ただ、そのくらい痛い、ということである。


この痛み、というのが想定外だった。痛いと何をする気も起こらない。生きる気すらも霧散していくような気がする。ふおおおお。
ということで何をする気にもなれないので、本をなかなか読めないのである。こんな痛みは想像していなかった。病院というのは入院というのは、もっと暇で楽で、天国のようなものだと思っていたのに。読書が遅々として捗らんではないか。


それでも冷静に考えてみるに、今こうして駄文を綴っているということは、何かしらの余裕があるということで、痛みがないということだね。
そう、今は痛みがない。
ハッピー。
痛みというのもこれ、波というのがあるらしく、痛い時間と痛くない時間に分かれている。どうせなら痛くない時間だけにしてほしいなあ、と切に願うが、それは僕の一方的な願いであるらしく、痛みは聞き入れてくれはしないらしい。

これからはもう少し想像力を広げて生きていきたい、と思うばかり。

そんなこんなでやっと一冊読み終えたのは、乙一「天帝妖狐」。

天帝妖狐 (集英社文庫)

天帝妖狐 (集英社文庫)

トイレの落書きの話と、神様とある契約をしてしまった者の哀れな人生のお話。

神様と深い関係になった人間は恵まれた人生を送り、死後に大変な思いをする、というような話は聞いたことがあったが、この男はそれは大層悲惨な余生を送ることになる。
人間の色々な面とその根底にある優しさ、普段の何気ない日常ややりとりがありがたいものなのだ、ということを訴えてくるお話ですた。

思い出がある、というのは救われることなんだね。
適当な感想だけど、本はそんな感じ。