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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

ぽつねんなる男の娘

よしなし

そういえば腑に落ちないことがあったのでここに記す。

万物は流転する、と云ったのははるか昔のギリシャのおっさんであるが、確かに万物は流転し変化していくものらしく、これを仏教では諸行無常といったりするが、言葉というものもまた、この流転リストに載っているらしい、ということに気付かされた。いつというのは、6年前。

つまり2011年のことだが、一年間の浪人生活の末に晴れてキャンパスライフの切符を手にした私は、大学の学生寮に入ったんですわ。

まあ結構歴史のある趣のある寮で、っていうか大学生であれば歴史とかにかかわらずつき物なのかも知れんが、先輩方への挨拶まわりなるものがあった。
 挨拶まわりといっても菓子折りをひとつ提げてまわるわけではなく、各居室のもてなしを受けて「じ、自分はこういう者であんす、お手柔らかによろしゅうお願い申す」と今後の指導を仰ぐわけだが、このもてなしというのが各居室によってまちまちで、
 普通に談笑する部屋、
 先輩の肖像画を即興で書かされる部屋、
 地下室に連れて行かれる部屋、
 意味もなく無限に「えいえい」と言うことを義務づけられる部屋、
 オリジナルの替え歌を10秒で作成する部屋、
 幼児に扮する先輩の乳首につけられた洗濯ばさみを取るように言われる部屋、
 「HOT LIMIT」のサビが終わるまでにもやし炒めを作る部屋、など実例を挙げればキリがないんであるが、まあそういう理不尽とも言えるような指令をクリアしつつ、およそ常軌を逸した大学生活をスタートさせるわけである。

 

その中で、「くじを引いてその紙に書かれたものになりきって即興で芝居を演じる」という指令が下った部屋があった。

いきなり初対面の人に、演じろ、といわれても申し訳ないことに、こちとら役者ではないし或いはそのタマゴでもなかった。しかし、指令を下したのは先輩である。先輩もその昔、同じようにいきなり見知らぬ人から「演じろ」と言われたがそれでもなお、下手なりにも演じたはずだ。だからこそこうしてこの人は今、自分に同じ試練をあえて与えてくれるのだ、すなわちこの人は父ライオンや。
 私はそんなことを思い思い、やるっきゃない、とくじを引いて紙を開いたんである。

「男の娘」と書いてあった。

その刹那、私は自らの勉強不足を恥じた。なんてこっちゃ、こんな言葉は知らん。さすが大学生や、知らん言葉を知っとる。不勉強だった。ていうか、これは男なの?娘なの?どっち?オカマなの?

そんで私はいつもばあちゃんから諭されていた「知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」という言い伝えを思い出し、「ここでこの言葉の真意を聞くのは自身の無知を曝け出すようで恥ずかしいこと甚だしい、しかしここで聞かなければ向後同じような場面に出くわした時に改めて恥ずかしい思いをすることになるであろう。大学生になれたとはいえど、私はあくまで修行中の身。ここはひとつ、自身の無知蒙昧に甘んじることにして師に教えを仰ごう」と思い至って、

「あのう、えと、これって何ですか・・?おとこのむすめって、なんでしょうか・・」
と意を決して聞いてみた。すると、まったくの想定外な言葉が返ってきたんである。

「・・は?むすめじゃなくて、おとこのこって読むんだけど」。
 これに対し私は「へ?」と答えるのをグッと飲み込んで、心の声にとどめ「あ、おとこのこって読むんですね。すみません、知りませんでした。それで・・おとこのこっていうのは、どういった・・・」となおも相手の返答が要領を得ないので聞いてみると、くじを引かせた男の隣に座っていたやや肥満体系の男が不機嫌かつキレ気味に、
「だから、おとこのこはおとこのこだよ!女の子っぽい男に決まってんだろうが!」
と口角泡を飛ばしてきた。
 この居室は「萌え」などを愛好する、いわゆるところのオタク気質な人たちが集まった部屋だったんである。

 

「決まってんだろうが、って決まってねえよアホンダラ。こっちが下手に出てればなんやねん、お前ら。ふざけとんのか、ぼけかす。だいたい男の娘なんて言葉は一般人がみんな誰でも知ってるような言葉じゃねえんだよ、豚野郎。現にこうして予測変換にも出てこねえし、男の娘なんて打ちづらくってたまんねえんだよ。てめえらみてえなパープー野郎どもが大学生なんて、日本の未来はウォウウォウウォウウォウ」と心の底から思ったが、ここで場の空気をこれ以上悪化させるのも大人気ないんで、このセリフも奥の歯で噛み殺し、自分は桁外れな発注ミスをした気弱なサラリーマンよろしく、
「あっ、本当にすみませんでした。分かりました、やります、やらせていただきます」と言って、女の子っぽい男を演じたんである。

しかもそのシチュエーションが、女の子ではないと知られながらもその可愛らしさから多くの男子の心を射止めている男の娘であって、桜の木の下でとある男子高校生から愛の告白を受け、付き合う。という摩訶不思議なものであった。
 相手役の男子高校生を演じた同僚も、さぞや大変な思いをしただろうと思われる。

 

萌えが好きなのはいい。オタク気質なのも別にいい。ていうか、男の娘が果たして「萌え」なのかどうかは知らんし、そもそも「萌えってなんやねん」という感が私の内部で渦巻いているが、それらは結局各個人の趣味嗜好の話であって、それはお互いに愛好するものを尊重しあってはじめて多様性を認める社会が実現されるわけである。あと、シチュエーションがまた特殊だったが、これもまあいい。

ただ、「男の娘」とあれば「おとこのこ」と読むべし読むべし読むべし、というあんたらの常識・知識を知らん人がいてもしょうがない、ということを知ってほしい。なおかつ、それを知らんがために怒らないでほしい。

まあ、自分の好きなものを変な風に言われたりしたら、むきい、と怒りたくなるというのもそれもまた人情だとは思うが、とりあえずあの時キレられたことは未だに腑に落ちることがない。

 

てゆーか、男の娘なーんて言葉を作るんじゃねえぼけなす、と言いたい。
 がしかし、それは私の勝手というものであるし、そもそも万物は流転し変化して諸行無常なのだから、新たな言葉が生まれ死んでいく言葉があるということ、言葉の意味が変わっていくことは致し方なし。
 ああ、言葉ってそういうものなのねー。

まあ腑に落ちないけど。無念。ぽつねん。