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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

UNIQLOのモデルはその辺のおっさんの方がいいという願い

よしなし

自分は前々からずっと思っていることがひとつばかりある。いや、他にも環境問題とか待機児童の問題とかそういう大仰なこともたまーには考えたりすることもあるが、それは非常にややこしく入り組んだ問題なのでいち善良なる市民である自分にとってはどうしようもないとこもあるのであって、それはまあ官公庁のお役人に大部分を任せるしかない。
自分が気にかけているのは、UNIQLOの問題である。


UNIQLOというのは、すべての人間にとって生存に必要な衣食住という三大要素のうち、衣の領域において今まさに強大な権力をもってこの青い地球を包んでいるという、マンモスのような総合衣料品メーカーである。
中華人民共和国をはじめとした人件費の安い諸国で主な生産を行い、それによってコスト面の大幅な削減に成功して急激な成長を遂げたらしい。これだけでも立派な搾取であるに関わらず、つうか企業活動なんてほとんどが搾取だとは思うが、今やその搾取の現場は生産現場のみならず販売現場でも行われているという。
いわゆるところのブラック企業というやつで、とあるルポライターがその内実を暴露したことでも一時話題を呼んだんであるが、僕はそういった企業のあるべき姿理想像なんてものに十分に言及する能力も知識も持ち合わせていないので、言及しない。

僕がいつも思うのは、なんでUNIQLOを「ユニクロ」とみんな平然と読み、呼べるのかということなんである。
これどういうことかと言えば、自分は情けないことにUNIQLOを「ウニクロ」と呼んでいた。中3まで。なんで、U をユと読むことをさも平然と思いついたんだ、きゃつら。Uはローマ字でウだろうに、きゃつら。ほほ。
と思っていた、中3まで。中3まで内心、ほくそ笑んでいたようなこともあったかもしれない。
がしかし、ほくそ笑まれるべきは何を隠そう、自分であった。なさけなや。

と中3の時に気付いてからというものの、自分の幼き過ち、若気の至りを儚み、色々とありつつもこれまでなんとか生きてこられたのだが、改めて考えてみるに、やはりUをユと読むことに違和感を抱かざるを得ない自分がいる。ここに。
それなら、Qはいいのか、という人がある。確かにその人の意見ももっともで、Qもなんか変だ。本来の日本男児であれば、これはキユと読むべきではないのか。しかし悲しきかな、日本人は舶来もののあらゆる物事に対し追随してしまう性があるゆえに、少しくネイティヴっぽく発音してやろうかしら、ってんでUやQをこなれた感じに読んでしまうんである。多分。

そして極めつけるのは、UNIQLOのモデル問題である。今はけっこう変わってきたが、一昔前のUNIQLOの広告塔といえば、外人であった。それも、スラッとしたプロポーションでなおかつハンサムあるいは美女。まあモデルなんだから、ある程度体型とか容姿がいいのは当たり前でしょう、という人がある。確かにその言い分ももっともなので、それは譲りたい。がしかし、なぜ外人である必要があるのか。
考えてみれば、この日本国内でUNIQLOの衣料品を購入するのはもっぱら日本人であり、悲しいことにみんながみんなモデルのような体型、容姿であるわけではない。広告にあるのはUNIQLOの服をかっこよく着こなす外人モデル。しかし、その服を実際に購入し、着たりなんだりするのはその辺の普通のおっさんやおばさんが多いわけである。

おっさんは言うだろう、「なんやらUNIQLOの服、安いわりにはかっこいいでないの。よし、いっちょ買ったろう。おおい、母さん」と。そしてUNIQLO店舗に行き、これこれ、とでも思ってかっこいいのは広告見たから分かるけどいちおう試着してみなあかんな、腹も出てきたし、とかなんとか思って試着してみたらなんかイメージと違う。広告と違う。なんやこれ。しかし日曜を遣ってここまで1時間半の道のりをよいよい来てしまったからには買わんと気が済まぬ、ってんで、レジスターに並んで買う。家に帰って着てみるも、別段娘や近所の主婦の見る目が変わるわけでもなく、原因も分からぬまま落胆。その落ち込み様は凄まじく、やがて胃腸肺肝臓腎臓あらゆる内腑に神経症による支障を来たし、入退院を繰り返して帰らぬ人となる、ということが予想されるのである。

こういった悲劇が起きないように、ぜひともUNIQLOには、日本人の平均的な体型、容姿のサンプルを収集し、モデルはその辺にいるおっさんや学生、主婦などを起用してほしい。
その方がより現実にかなったものであり、悪いアイデアではないと思うのですが、そこのところどうでしょうか、UNIQLOの広報担当の某さん。