光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

鼻血とデブとアイス

誰にでも思い出、ジブリ風に言えばおもひで、というのがあって、思い出は重いでぇ、とかいう洒落もあるくらい多くの人が共有する概念であると思う今日この頃。
思い出と一口にいってもそれは実に様々であり、ハイキングの思い出、運動会の思い出、夫婦喧嘩を見ていた思い出、タクシーを拾おうとするも無視された思い出などなど多種多様だと思うが、自分は最近、就職活動の思い出を思い出しよった。


その1 鼻血
その日は当時一番行きたかった、とある社団法人の面接であった。日付も覚えていて、7月24日金曜日。
7月というのは日本の四季の中で夏という季節に当たり、気温湿度が高いことこの上ない。

そんな時期にスーツを着るというのはこれ、もはや苦行修行の類だが、暑いからといって自分一人だけクロマニヨンズのTシャツにタイトジーンズという出で立ちで面接を受けるわけにはいかぬもので。
自分は泣く泣くスーツを着て東京はど真ん中、六本木という都心部に潜り込んだのであるが、悲劇が起こった。

当該のビルジングに着いた途端、右鼻穴から鮮血が滴ってきたのである。いわゆるところの鼻血。さて、人はどんな時に鼻血を出すのかと言えばそれは、興奮しているか体調が優れないか何かしらの病に罹患したか。鼻血を出しながらビルジングの前で努めて冷静に分析するに、この真夏日にスーツを着て往来を闊歩していたこと、会社に入りたいという気持ちが高まり過ぎてその思いが鼻血として顕現したということ、がはじき出された。

と分析はしてみたもののその面で面接を受けるわけにはいかないので、急いで隣のカフェーに入り、200円もするスコーンを鼻血をすすりすすり買って、トイレで鼻血の処理を施した。
幸いにもシャツなどには鮮血の跡はなく、なんとか無事に面接を受けられそうだった。

そして面接。
面接はいわゆる圧迫面接の類とおぼしきもので、事務用の長机がコの字形に並んでいて、そのくぼみのところに自分が座る、というものだった。面接官は8人。ああ、裁判の被疑者ってこんな気持ちなのかな、と思い絶対に罪は犯さないようにしよう、と誓った。

そんなこんなで誓ったりなんだりして面接は進む。30分前には鼻血を出していたとは思えないようなきびきびとした受け答えだった。
がしかし、神様は時に悪戯をして遊ばれるようで、自分はその玩具となり果てた。

何が起こったかて、またもや右鼻穴の奥になにか「たり」と垂れる液体を感じたんである。これから鼻血出ますよ、というあの「たり」という合図。
自分は8人の面接官にバレないように鼻をすする。この時ほどすすりの訓練を日頃からしておけばよかったと思うことは、この先にも後にもないだろう。
やがて不慣れなすすりは限界を迎え、一滴の赤い液体が滴った。

面接官「・・きみ、鼻血かね?」
自分「」

なんと答えたか覚えていない。というかこの後面接が終わるまでの記憶があまりない。
鼻血に負けたんである。僕は。

合否の結果は不採用だった。受け答えが悪かったのか、鼻血が悪かったのか、鼻血で我を失ったのが悪かったのか、それは採用担当者しか知らない。

この面接は失敗に終わったが、日本男児たるもの、失敗から何かを学び得て、次なる糧にせねばならない。そこで自分がこの思い出から学ぶことと言えば、すすりの鍛錬をすること、そしていつか同じような場面で鼻血が出たとしてもそれをむしろプラスにできるような発想を常々考えておくことであった。

そしてその日のうちに札幌に帰り、アジアンカンフージェネレーションのライブに行った。帰りに沖縄料理の居酒屋に行き、ソーミンチャンプルーという炒めものを食した。美味だった。


その2 デブとアイス
日付は覚えていないが、ウイスキーで有名な会社を受けたときだった。

三次面接の結果を待つために東京に逗留していたが、一向に連絡がこない。鼻血を出した会社の次に行きたい会社だったので、自分はまたも落胆した。
そしてついにお祈りメールなる決定打を受けた自分はひとまず田舎に帰るため、趣味人の集う街・秋葉原へと赴いた。

秋葉原の街角で、ああ、もうこうなったらベネチアで舟こぎにでもなろうか、と自棄になって往来を眺めていたら、マクドナルドから出てくるアメリカ人とおぼしき父子を発見した。

典型的なアメリカ人らしい、ステレオタイプな奴らだった。父も子も肥満体であり、顎はなく、釘が打てそうな太い二の腕とふくらはぎをプルプル震わせ、ピザとペプシが似合うそんな感じ。
そして、その子どもというのがソフトクリームを持っていて、今まで見たことがないくらいに、実に美味そうに幸せそうに、満面の笑みで、そのアイスを食っていたんである。

「僕らはこのハンバーガーとアイスがあればそれだけで幸せさ。何をそんなに求める必要がある?幸せはいつも君のすぐ近くにあるものさ」と彼らが思っていたかどうかは彼らでないと分からないが、おそらく思っていた。と思う。

その父子の姿を見て、僕はだいぶ気が楽になったんである。そうだ、あの会社に入れなかったからといって気に病む必要はない、また新しい道を探そう、ってんで少しく楽天的になった。
そして、楽天ゆえに単位を取りこぼし、二足のわらじを履きながら卒業と同時に色々あって会社も辞め、現在に至るんであって。

僕もハンバーガーとアイスを食えば幸せになれるんだろうか。
とりあえず僕は今、タリーズでカフィーを飲み飲み町田康を読めるから、それで幸せだす。げに。