光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

乙一 「ZOO 2」

思えば、去年はよく飛行機に乗る年だった。東京に住んで、東京の会社に通いながら、北海道の大学に週一で通学していたんである。
毎週火曜の夜に成田空港へと2時間弱かけて赴き、第3ターミナルで中国人やら韓国人やらの旅行客と浮浪者のようになって椅子取りゲームに興じ、コンセント戦争を巻き起こし、野良犬のように眠る。朝一の飛行機ではるか蝦夷の国まで飛び、スペイン語を履修し、新千歳空港で社員から頼まれたロイズのチョコレーツを購入し、帰路につく。東京は北区の家に着くと、時はもはや丑三つ時。

毎週出張があるようなもので、出張が多い人もいるだろうから「体力的にきついぜ」てなことを口にすることは憚れるが、体力的っつうか金銭的にとてもきつかった。
毎月、交通費が6万近く飛んでいくのである。空にね。僕がこうした二足のワラジ生活をしていたのはひとえに、スペイン語演習の単位を取り損ねたからであって、身から出たサビ以外の何物でもなかった。ゆえに、非常に金銭的にあえいでいたんである。絶え絶えよ、もう。

そういうことで僕は去年、よく飛行機を利用していた。同じような境遇の人はいないかなあ、と思ったこともあったが、それは分からずじまいであった。でも、これだけ多くの人が飛行機を利用しているんだから、その中にはのっぴきならない理由で乗っている人ももしかしたらいたんではないか。

 

例えば。
とある運送会社に勤めている真面目な青年がいた。彼は非常に、心底、マジで真面目で、一般道の法定速度を1キロも超えることなく走行するためしばしば普通に考えたら意味の分からない渋滞を引き起こし、8時間くらい誰も何も通らない交差点の信号であっても赤であれば歩行者であっても止まるし、接待ゴルフで得意先の部長が苦手なバンカーにはまってしまい艱難辛苦を極めている時でもスポーツマンシップに則ってひとり先に進んでいくし、札幌エスタに落ちていた一円玉であっても最寄りの交番まで届け出る、といったような言ってしまえば真面目すぎて柔軟性がない人、堅苦しいやつとしてその日も生きていた。
配達が終わり、営業所に戻ろうと思った青年。この日は愛するせがれ・鴨太郎の生誕5周年記念式典が家であるために、そのプレゼントを帰りに買っていく予定であり、ままごとセットがいいかな、それともメルちゃん人形がいいかな、とか青年にしてはめずらしく少しくうわの空で運転をかましていたところ、前方数メートル先にいた婆あに気付くのが遅れてしまった。法定速度で走ってはいたものの、50キロぴたりで走っていたので、婆あもよける余裕がない。婆あは、どっかしらの小学校かどっかの交通安全教室かなにかで再現される交通事故の被害者人形のようにふっとんでいった。婆あはそのまま街路樹、おそらくざくろの木に頭からしたたかに打ち付けられ「バタンキュー」とつぶやいて意識を失った。
なんたる過ち。青年は木にぶつかって動かない婆あの姿を見て、一世一代の判断に迷っていた。人間というのは誰であっても罪人扱いされるのは嫌で、この青年も人間だったのでもちろん罪人扱いしてほしくなかった。真面目なわりには、ここ一番で真面目が揺らぐ男だった。そういえば俺は真面目そうに生きてきて自分でもそうだと思ってたけど、実はそんなことなかったんだなあ・・・、と青年は図らずも自己分析をし始めたが、うんとかすんとか言ってる場合ではない。逃げるなら逃げる、逃げないなら逃げないで決断せねばならなかった。と、ここで青年の脳裏にあの事件が浮かんだ。ノンスタイル井上のひき逃げ事件である。やっぱやーめた、と言って駆け出し、「おっ、おばあさん!大丈夫ですか!」とさもはじめっから心配してましたよ僕は、といった体でおばあさんに駆け寄った。

おばあさんに駆け寄った青年は目を疑った。おばあさんはおばあさんではなく、おじいさんだったからである。なんでこう、人間歳をとると性の別が一目ではつきにくくなるのか。それはさておき、自分ではおじいさんのつもりなのにおばあさんと呼ばれたおじいさんは、もちろん黙ってはいない。事故の衝撃で生死の境をぶらついていたが、この一言で現世に帰ってきたのである。「おい、若造。今この俺を婆あと間違えやがったな。え。俺は婆あと間違われるのがこの世で一番きれえなんだ。なあ。でもお前今俺のことをおばあさんって呼んだよなあ。」「ひ、いや、あのなんていうか、いきなりだったんでちょっと間違えちゃったって言うか、その、すいません、あの、身体だいじょ」「大丈夫なわけねえだろ、こちとら99歳だっつうの。全身の骨という骨がもう粉よ。粉。どうすんの、お前」「いやあの、すいません。お金は払います、とりあえず病院に」「病院なんかいかねえよ、行っても意味ねえじゃん。骨が粉になっちゃったんだから。わかる?」「ええ、それはまあ・・」「っていうかさ、その金でなんとかしようって魂胆が気に入らないよね、わしは。わしという人間は。だってわしはいたいけな老人だよ?暗い道でも遠くから見えるように、反射板を体中に施してるいたいけな老人なわけ。それをなに、お前ひいちゃったりして。挙句、金で解決しようとして。これだから最近の若者はって言われちゃうって言うかさあ」「あの、それならどうすればいいでしょうか・・」「そうだね・・・お前、これから週一で西表島に行って、ヤマネコ拾ってきて。週一ね」「西表島って、あの、沖縄とかそういうとこにあるあれですか・・?」「あのなあ。そこ以外に西表島なんてねえだろ、普通に考えて」「あの、なんでヤマネコなんか拾わなくちゃ・・」「そんなことお前に関係ねえだろ、明日から行けよ。もちろん交通費はてめえで出せよ。猫拾ってきたらここに電話しろ。じゃあな。もし1週間以内に猫持ってこなかったら、警察に突き出してお前の人生めっためたのぎったぎたにしてやるからな。逃げんなよな」

 

という経緯があって、毎週ひとまず那覇空港に飛んでいる人もいるかもしれないのである。まあ、100人とかその辺の人間が乗っていて、みんながみんな単なる旅行とか帰省とか仕事であるとは、なんだか思えないので中にはのっぴきならない事情で乗っていた人もいたんだろうなア。と思う。

 

そんで、やっと本の話に入るが、この短編の最後から二番目の話はこういう話。こういうっていうとあれだけど、飛行機の乗客の様子が尋常でないって話。ハイジャックって、けっこう絶望的だなあ、今まであったことないけどなくてよかったなあ、ってそんなこんな。

 

ZOO〈2〉 (集英社文庫)

ZOO〈2〉 (集英社文庫)

 


1が赤で、2が青。本屋に平積みになっていたら、けっこう見栄えがするんだろうなあという印象。
短編が6編、うちひとつは書き下ろし作品ということでちょっと浮いた存在になっているが、ホラー?ショートショートでいい読了感を伴って本を閉じることができる。

<血液を探せ!>
痛覚がなくなってしまったワシ。ある朝ふつうに目を覚ますと、なぜか知らんが体中が血まみれじゃ!しかし痛覚がないので、どこから血が出ているかも分からん。だが、このままではワシは出血多量により死んでしまう!誰か、ワシの血を探してくれ!

一人称がワシ、というちょっと珍しい気がするお話。死に際のジジイが主人公というのもなんだか不思議に新鮮だ。おそらく本短編の中でもっともユーモア溢れる、少しく笑える話。登場人物のセリフかけあいのテンポが実によく、ちょっとした漫才のようでもある。ジジイ死んじゃいそうなのに。
また、おはスタとか、宇多田ヒカルとか、なかなか小説ではお目にかかれない単語があったりして、そういうレア単語を単純に楽しむという楽しみ方もある。
結びは少し爽やか。

 

<冷たい森の白い家>
両親を事故で亡くした僕は伯父の家に引き取られ、馬小屋に住まわされるというひどい待遇を受けていた。馬小屋で横になると、目の前には石垣があった。たくさんの人の顔のようなたくさんの石垣。ただ一人の少女を除いては、誰にも優しくされなかった。やがて僕は馬小屋も追い出され、森に家を建てて生きることにした。石垣をこさえて家を建てよう。たくさんの人の顔が目に浮かぶ。

短い文章で淡々と物語が進行していく。テンポがいい塩梅なので、さくさくと読める。が、そこにはなんというか色がないというか、あまりにも淡々とし過ぎた感がある。おそらく、主人公の心情がもはや色褪せていて、感応が非常に鈍っているのだろうか、そんなことがなんだか伝わってくるような気がする文章。ある意味、パンチがある。

唯一優しくしてくれた少女が再登場するが、ラストは切ねえ。

 

<Closet>
小説家のリュウジが自室で頭から血を流して絶命しているその時、ミキは血の付いた灰皿を手に持っていた。ミキは部屋にあった大きなクローゼットへとリュウジを収納する。リュウジの姿が見えないので、家族があれやこれやとリュウジの行方を追う。このままでは自分に疑いがかけられてしまうミキ。確かにリュウジが殺された時、私があの同じ部屋にいた。本当に私がリュウジさんを殺したの?そんな折、一通の手紙が家族の元へと届いた。

ミステリー。なのかな?正直、薪ストーブの火の具合をちらちら気にしつつ読んだので、話の理解が完全ではない。とりあえずミステリっぽい雰囲気が。
子どもが、家族がいなくなったというのに、どこか平然としている家族が少し怖い。

 

<神の言葉>
僕の言葉には不思議な力が宿っていた。僕が何かを念じれば、なんでもかんでもその通りになった。その圧倒的な力を目の当たりにして、僕は僕自身が恐ろしくなった。僕はそんな特殊な一面を持っていたが、とてつもなく小心者でもあった。周りの期待を裏切るのが怖くて、表情ではうまく爽やかに取り繕っているものの、内心にはどす黒いものを抱えて生きていた。そんな僕を見てほくそ笑む弟。そんな僕の内面を、弟だけが知っていたんだ。僕はどんどん苦しくなる。いっそのこと、僕の力ですべての人間を消し去ってやりたい。

人の目を気にする。っていうのかね、そういうのがこじれてしまうとこうなってしまうのかね・・。幼心に芽生えたズレが、大量殺人へと膨らんでしまうお話。
結末はこじつけのようだが、この少年の言葉の力自体こじつけのようなものなので、まあそういうもんかと思う。机の傷には無限の時が刻まれている。5億年ボタンみたいな感じもあった。黒い悲哀。

 

<落ちる飛行機の中で>
どうやらこの飛行機は、まもなく墜落するらしい。なにやら、ハイジャックされて犯人に墜落するように命令されたとのことだ。墜落死は嫌だ。中途半端に苦しむ恐れがある。どうせ死ぬなら、安楽死がいい。すると、運命とは不思議なもので、隣の席に座っていたセールスマンが安楽死の薬を偶然持っていた。私は考える。この安楽死の薬を買うか否か。もし墜落しないのにこの薬を買ってしまえば、私はただの死に損となる。さて、この犯人は本気で墜落させる気があるのか否か。私の一世一代の博打が始まった。

話のタイプは「血液を探せ!」に似たものを感じた。逼迫した状況で、その空気にそぐわない会話。安楽死志願者とセールスマンのやり取りにはそうした滑稽さがあるように感じられる。ハイジャックが空き缶に躓いた人を拳銃で殺していく様子もどこかおかしい。飛行機がある場所ってのは、ある意味どこの領域にも属さない場所であると思うが(国土に直接ないという意味でね。ていうか、離陸前の空港という場所もどこかしらの国に属してはいるものの、そこは自国と外国の境目なのであってそういう意味では空港自体がある意味どこの領域にも属していない感じがある。と思う。アイデンティティがなくなったり鋭敏になったりする空間)、それだけに変な人たちが結構当たり前にいるよなあ。

状況設定がおもしろいです。人って死を前にすると、臆面もなく取り乱すか、居直るかどちらかなんだな、と。

 

<むかし夕日の公園で>
夕暮れ。一人で公園の砂場に腕を突っ込んで遊んでいた。砂が気持ちいい。どこまで深いのかと思って手を伸ばしていたら、何かがあった。手を引き上げてみると、掌の中にあったのは、髪の毛だった。

ショートショートだけにとても短いが、公園で幼子がひとりで遊ぶという事、夕方という時間帯にある独特な不安・ホラー、地中という目に見えないけど確かに存在する空間のエッセンスが凝縮されてるような、そんな感じ。
そこはかとない読了感と秋風に吹かれるような(西部劇で藁だかなんだかの塊が転がっていくような)荒涼とした感じをじんわりと残す。

 

全体として。ZOOという短編集の下巻ということで、1と同じようにジャンル分けがとても難しい、色んな作風が楽しめる良き短編集だと思ふ。1よりかは若干ブラックさが強い印象。