読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

町田康 「へらへらぼっちゃん」

書評 町田康

エッセイってこう、なんというか、感想云々を書くようなもんではないのかもしれんくて、こうサラサラとお茶漬けみたいなもんだと思ったりもするもんだけど、とりあえず読書の跡を残しておこうってことで、へらへらぼっちゃん

 

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)

へらへらぼっちゃん (講談社文庫)

 

 この本は確か秋葉原のとある古本屋でオタクの渦にまみれながら購入した本だと思われるが、へんてこな紙が挟んであったのが思い出。

f:id:jusdayo:20170109202227j:plain

自画像か架空の人物を描いたのかどうか、そのへんは定かではない感じなんだけども、ひとまず珍しいことだしまあまあうまい感じもしないではないし、しおり代わりに使えば万事解決、ってんでしおりとして使ってたんだけどこの本を読んだ母が「気持ち悪い」とのこと。
確かに言われてみれば気持ちが悪いというか、気味が悪い感じがしなくもない。
もしかしたら呪詛がかけてあるかもしれないし、なにかしらのいわくがついていても、おかしくはない雰囲気がそこはかとなくある、っちゃある。
気持ち悪いと言われてもまだ捨てていないということは、もうすでにこの絵に取り込まれてる可能性もなきにしもあらず、でもまあせっかくだし。

 

三年間、なにもしないで時代劇ばかりみていた。テレビの中では毎日のように悪人が誅せられ、善人が希望に満ちて旅立っていく。進展しないのはわたしだけ。ただただ、朝が来て昼が来て夜が来て、喰らい酔って眠りこけていたのである-。町田康にかかれば、日本語はこんなにおもしろい。瞠目のエッセー集。

                          本書裏の紹介文

読んでみて思うは、本当に何もしていない。
というと語弊があるかもしれないが、たまに出稼ぎというかちょっとしたライブの準備とか執筆とかそういうのを除けば、ひたすら酒を飲んで昼寝をしているだけ。そんで外に出た時に見聞きした事とかについて思考実験を繰り返す。そんな日々をまとめていらっしゃる。

 

 当月という月は一体どうなってるんでぇ。日記として記すべきことが何もないのですよ。
「なにを馬鹿なこと言うのです。いやしくも男子が一月のあいだ何も記すべきことがないほど無為徒食に甘んじておる訳がないでしょう。立ちなさい。いつまでぐずぐずしているのです。さあ、立つのです。立って机に向かうのです。」

 しかしなあ、そら俺かていろんなことしてるよ。ただ遊んでるわけやない。ただそれはですねぇ、まさしくいろんなことで、その中にはこのような日記書きも含まってんねんけど、いまやったらそやなぁ、コンサートの準備、単行本の準備か。
 ところがやなぁ、この準備ちゅうのは実に時一な作業なんで、それをいちいち書き出したところで何の面白みもない。あっ、家事の天才が来た。また目が合ってしまう。まあしかし、おもろないのは私の不徳の致すところで、その日常を記録しておもろないのはそいつがおもろない奴なんや、という諺もあることやし、腹くくって正味の記録でいってみよか。多分おもろないけど。

                           56,7ページ

おもろないけど、とのことだがおもろかった。紹介文のいうとおり、「町田康にかかれば、日本語はこんなにおもしろい」。おもろない、って言うことでおもろさが増す。

なんかこの部分は、今の自分の姿に勝手に投影してしまって、勝手にシンパシーを感じてしまった。毎日毎日、本読んで薪を割って、眠くなったら昼寝する。われは無為徒食の権化なり。そろそろわしも立ち上がらなければ、と思って今まさに机に向かい駄文を重ねる。あかん。

 

細かいとことしては、これが特によかったかなあ。
「告白」とか「パンク侍、斬られて候」とかその他短編などに町田さんの時代劇への愛好心が見え隠れするが、登場人物や語りなどで現代用語を頻用することがこれ、しばしばある。
その根源とでもいうべきエピソードが本書にある。んだけども、抜粋するのが難しいというか説明するのが難しくてめんどくさいというか、だいたい49ページから52ページにかけてあるので、万が一今このブログを読んでいるような人があったら、それはもう図書館とかに行って借りてくるなり、秋葉原の古本屋でオタクにまみれて購入して実際に読んでみるのが一番よいのではないか、と思う。町田さんの時代劇風小説におけるセリフ・言い回しのルーツというか、なんかそういうものが感じられて、楽しい。

 

 

久しぶりに読んでみて、引用部分のとこも読んでみたけど、自分を顧みるに本当に無為徒食の存在であるよ、自分は今。このままでは日本経済・行く末、っていうか国うんぬんの前に自分ひとりの1か月後とかもそろそろ危うい感じがほのめいている。
しかし努めて冷静に考えてみれば、日本という国は日本国民ひとりひとりから成り立っているのであって、ということは日本という国の存亡はこれ、ひとりひとりの国民にかかっているということにもなるわけで。どうやらそういうことなんで、やはり国のためにも、そして自分のためにもそろそろちゃんとした方がいいよ、ということなのであります。具体的に言えば、まず薪を割るのをやめ、読書の時間量を減らし、規則正しい睡眠ライフを確立したのち、アルバあるいは正社員としてなにかしら例えばパンとかの製造にあたったりなんだりして賃金を正当に獲得し、辞書的な意味によるところの地に足をつける必要がある。

ということで、満を持して札幌に行こう。