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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

新宿の因業

よしなし

僕は生まれてこのかた、新宿という街が嫌いで嫌いでしょうがなく、あんな色々様々なバランスというバランスが狂いに狂った「とかい」に行こうもんなら、身体中のバイオリズムを余すところなくこれ狂わせることになるのであり、それは例えばフクロウでいうなら本来夜型の野生動物である彼らがお天道様の真上に昇る正午どきに野鼠をハントするようなもの、或いはひと昔前の八百屋であれば夕暮れどきに大量に出没したであろう「今日の夕餉は何にしたらええのだろうか」と懊悩する主婦ナウく言えばマダムに八百屋の主人・為五郎が白菜や人参など適宜その旬のものを薦めていたのを21時くらいに為五郎が誰もいないアーケード街に向かって白菜や人参などをアーピールするようになるようなもの、といったような感じで、そういう体内時計というか体内装置というか情緒安定機能維持機構といったものがこれ、ふ菓子のごとくもろく崩れさる。

そういうものが崩れると何が起こるかといえば、それはもう財布を落とす、ということしかないである。ないであるってなんじゃいな。

時に、人という生き物は、あなたの愛があればあとは何もいらないわ、或いは世の中金が全てじゃねえ、或いは愛と勇気だけが友達さ、と宣ったりすることがある。これはこれ、確かにそういう面はあるのであり、一概に間違っているとはいえないものの、やはりそうでない場合・事情というものもある。

なんとなれば、飛行機の事故・アクシデンツが生じた場合に避難の優先をされるのは多く金を払っている人であるし、ブラックジャックの手術を受けられるのも基本的には3000万くらいある人だし、こんな極端な話を除いても毎日日々の充分な衣食住を確保し心身ともに健康優良児として地に足をつけるためにはこれ、やはり金なのである。結句。

なのだから、やはり人間は愛だなんだのというけれども、その前提として生存を確立するためにマネが必要であって、だからこそ人は人との待ち合わせの時間やゴミの日を失念し耳かき、リモコン、軍手、教科書、眼鏡、レンゲ、ライターその他雑多な物などを紛失するにも拘らず、財布という金の持ち運び金庫は失くさない、失くしにくい傾向にある。ような気がするのが、今日この頃。

というのも耳かきや軍手といったものは、まあその気になればすぐに金で調達できるために各人の気が緩み、油が断すことによって紛失するのであり、また約束の時間に遅れるのは個人差が大きいと思うが人によってはh単位で遅刻する人も実際にこれいるし、ゴミの日なども個人によっては大安や仏滅などと同じ意識で捉えている人もいるやもしれない。

がしかし、金はもうこれ往往にして代替できるもんではない。なくなったからといって、持っている金でスルメを買うように、持っているスルメで金を得ることはこれ、スルメ販売業者あるいはよほどのスルメ好きか物好きでないと成り立たないのが昨今の浮世にみられる常識だからである。だから、人は他の何ものにも増して財布・金を失くさないように努める。正常なバイオリズムであれば。

問題はバイオリズムであって、そのバイオリズムが乱される街というのが新宿である。なぜバイオリズムが乱れるか、といえばそれは諸説あるんだけれども、ひとつに人間の正常な判断・思考活動を妨げるアルコール飲料を供する店舗が多い、ということがある。アルコール飲料に毒された者の末路は悲惨である。そも末路って文字自体からも禍々しさがほとばしっているが。何を言っているか分からない上にいきなりどつく、怒鳴る、暴れる、嘔吐する、道端で寝る、睨めつける、乳を揉む、陰茎を出す、普段政治に関心がないくせに「安倍の馬鹿野郎が」と悪態を吐く、しまいに泣く、などの暴挙・失態・エラーを発症する。そのうちのひとつに、持ち物への意識を飛ばし結果物を失くす、というのがあって、これがつまり財布を失くすことにつながる。

新宿だけでなく他にもアルコール飲料を供する店舗が多い地域はたくさんあるでしょうが、という人があるが、新宿は特殊である。僕は新宿で生まれ育ったわけではないので土地の所以や成り立ち、その他事情はさっぱりだが、あのシティ感はハンパではない。とか言うと僕がいなか者、ということにもなるのであってそれは確かにそうなのだが、周りの人を見てもこれ、やはり違う。錦糸町で見る飲みびとと、新宿の飲みびとは違う。これはやはり、新宿がなんやかやと最先端とかいうか、いわゆるめちゃめちゃイケてるシャレオツでスマートな遊び人の街なのであって、そこにさほど遊び人でもイケてもいない僕がそのような場所に行ったところで、なにごとか定かではないが動揺して舞い上がって、そこにアルコールも手伝って持ち物への意識が薄れ、結局自分のペースを乱すことになり、それつまりバイオリズムが乱れるのである。

トドのつまり、あれこれぶちまけたところで何が言いたかったのかとなれば、つまり僕は新宿で財布を落としたことがある、ということなんである。3行で済む話なんだった。まあ。

で新宿にとってみれば殊に迷惑な話で、僕の勝手な都合・ある種負け犬の遠吠えなんであるが、僕と新宿の間にはチャレンジャー海溝よりも深い溝があるのであり、両者が和解・邂逅することは難しい。後悔大きいし。

そんな因果な関係を一方的に構築した僕なんであるが、人間関係の因果によりこの因縁の地に呼び出されたのが昨日一昨日である。先輩と後輩という因果は久遠の光なのであって。

そういうわけで宿敵である新宿に赴き天ぷらというハイカラなものを食べて、アラウンドザワールドというこれまたハイカラなものを飲んで木こりの日々も忘れて図らずも天下泰平、挙句トランプゲームを興じて帰路に着いたんであるが、収穫がふたつあった。

ひとつは、客引きの撃退法。客引きというのはこれ、道道の角あるいは大胆なものになると行く手の真ん中でよんどころなくニヤニヤ・フラフラして「ぃっにぃさん、ぉっぱい、どぉ?」「のあとっ、んか店ぃまってんすか?」などと呼びかけてくる人たちで、木枯らしの吹く大寒などにもそのスタイルを貫くところを見るにある種の尊敬の念を感じずにはいられないが、たいていはうざったい雲蚊のような存在である。なかには背後霊あるいはドラゴンクエストの仲間のように暫しあとを付いて来る者もいて、そういう強者をどう祓うか、というのはけっこうな人が思ったことのあるアレだと思う。

これに関して、川崎に住む僕の友人は「自分、ゲイなんで」という一言でしきりに乳を揉ませようとしてくる強者を祓うらしいが、これは居酒屋・カラオーケストラなどに誘い込もうとする強者を祓う場合には通用しないという難点があった。そして僕は完全無欠の文句を発見したんである。それというのが、「財布落としたんで」という一言なんだす、これがまた。

よくよく考えればこの強者たちは別に声をかける人に乳を揉んでもらったり酒を飲んでもらったりしたいわけではない。なんとなれば自分で乳を揉みたいし、酒を飲みたい。つまり、強者にとってそこ行く人というのは、金・マネの権化なのであって、金本位主義なんである。だから、金がない奴に揉ませる乳はないし、飲ませる酒もない。「ぁ、そーすか。っす」で強者は見逃してくれる。すがすがしいなあ。

これはほんとに使えるな、もしかしたら25年生きてきて最大の発明・発想かもしれないな、と思うんで特許を取れたら取りたい。そしたら金も入ってくるので、正正堂堂、乳を揉むこともこれ、可能である。

ふたつめに、本を拾った。ゴールデン街という、変な飲み屋街がどのへんにあるか詳しいことは知らんけどとにかく新宿にあって、その界隈のとある店の前に本が何冊か置いてあって「欲しかったら持ってってもいいよ」という旨のPOPがあり、新宿で財布を失くしたという落ち目がある手前、その新宿からとれる物なら何でもとってやりたい、という負け犬・後手の心理が作用して面白そうな本を頂戴したんであります。タイトルとしては、毎日のスープ、89番目のネコ、二人の手紙 獄中往復書簡集、犬も猫舌という面々。道端に落ちてた物なので呪詛がかけてあったり、よもや精液がかけてあったりする危険性もないことはないのであるが、今のところ平和なのでよかったなあ。なかなか気前のいい店なので、新宿に来ることがあった際は、立ち寄ってみたいスポットなんである。

そういうことで長くなったけどとにかくまあ、新宿はバイオリズム乱れるものの、本とか落ちてるし、なんだかんだ楽しいところで多少の酸いも甘いも体感したので、また呼ばれることがあったらぜひとも赴く所存なんでありまして。