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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

中田永一 「百瀬、こっちを向いて」

書評 中田永一・乙一

今年一冊目の小説は、さわやかにして甘く切ない恋愛小説でやんす。

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

百瀬、こっちを向いて。 (祥伝社文庫)

 

 中田永一名義になってるけど、乙一の作品。といういい方はおかしいのかな。とりあえず同一人物が書いた本。この本が出た時はネットで「中田永一って、乙一じゃね?」って話題になったらしい。
表題の「百瀬、こっちを向いて」も映画化されて話題になったらしい。
そな感じで話題が豊富な一冊だったんですね。そんなことも知らずにのほほんと暮らしこましていました。僕は。

 

つうわけで「百瀬」が有名らしいんだけど僕個人としては、今風にいうなら自分的には、「キャベツ畑に彼の声」という話が好きだったね。
そんなわけであらすじと感想的なものでやんす。

 

「百瀬、こっちを向いて」
なんの取り柄もなくコミュニケーション能力もない。そんな人間レベル2の僕(相原)は、僕と正反対で人間レベル90の、たまたま幼馴染で仲の良い宮崎先輩からある事を引き受けた。引き受けた結果、百瀬陽という女の子と付き合うことになった。自分の人間レベルを考えれば、どう考えてもおかしい。そして、その思惑は当たった。今からではもう遅い。こんな気持ち、知りたくなかった。百瀬、こっちを向いて・・。


最後のひとことが思わずも表題になってしまったのはなんとも片腹痛いことだが、相原君の心の奥底にはきっとこの言葉が流れていたんだな、と思わざるを得ない。つうことで、この言葉がいちいち出てくるわけではないんだけど、読んでいると相原君のこの言葉が聞こえてくる。ような気がする。切ないねえ。なんとも。

 

「なみうちぎわ」
5年前、わたし(餅月姫子)と小太郎は先生と生徒だった。わたしが家庭教師の先生、小太郎が生徒。でも今は逆で、わたしが生徒、小太郎が先生。わたしの時間が止まってしまったからだ。時間が動き始めると、体が動かなかった。そうだ、小太郎が溺れてるのを助けようと思って・・・。水難事故だった。わたしの記憶は16歳で止まっているが、今や20歳。眠り続けた5年間に、何があったのだろう。そしてわたしはこれからどう生きていくのだろう。

 

うおまじか大変やんけ、てな感じの冒頭であるが、そこからの姫子の快復ぶりはすさまじい。黒乙一だったら、たぶん悲惨なことになってたんだろうな、と思いつつ姫子の頑丈さに涙がホロリ。というわけではないけど、悲惨よりかは悲惨でない方が読者としては有難いので、なんつうか、姫子の頑丈さはありがたい。メルシー。

ていうか、姫子は色々と頑丈ですよ、正味。自分がこんな身体になったその根本的な原因である小太郎に向かって、ひとつの恨み言もないんだもの。なんたる剛健でたくましい精神の持ち主であろうか。ははあ。

話としては他の収録作品と比べると、なんか物足りない感じがするものの、本書の中で一番美しいと思う文があった。

暗闇のおくから静かに波の音だけがしずかにおしよせてくる。夜の海は宇宙のようだ。視界におさまらない大きな暗闇に、今もたくさんのひみつが沈んでいるのだろう。

                          本文117ページ

きれいだな。夜の海って、なんだか怖いもんですが、こういう考え方というか捉え方をすると、怖さがロマンや未知へのあこがれになる。
この文が出てくるのは、姫子と小太郎が懇ろになり始めた頃。二人のいい思い出も痛ましい思い出も、みんな海に詰まっていた。そんな海をひとり眺める姫子が、もの思いに耽る場面。美しい。

 

「キャベツ畑に彼の声」
国語教師の本田先生を慕う女生徒は多い。かくいう私、小林久里子もその一人だった。でも私は皆みたいに先生に群がるようなことができない。私は先生が授業中に薦めた本を読むしかできなかった。けれども、事実は小説よりも奇なり。私はのちに、先生と結婚式に出席することになる。全ては、とあるインタビューのテープ起こしだから始まった・・・。

 

ミステリ小説に興味の無かった少女が、現実に起こるミステリ小説のような出来事に立ち会う。そんなお話。
とても面白かった。そんな幼稚な感想がつい出てくるくらい単純に、ただただ面白かった。図らずも秘密を共有すること、そしてその秘密にさらなる秘密が隠されていたこと、その展開ぐあいが心地よい。マンダム。

 

少々個人的に表題を推し量って考えてみると、きっと、主人公はキャベツ畑を見るたびに本田先生を、本田先生を思い出すたびにキャベツ畑を、瞼の裏に甦らせることだろう。そして、その時に抱いていた淡い思いも。
この連想は意図していたわけではなく、たまたま時を同じくして彼女を通り過ぎていった景色であり、人間だった。言っちまえば、取り留めのないものもの。でも、ただ通り過ぎるだけではなく、これらは錨を彼女の心に下ろした。そして、彼女は時折、この錨の縄をたぐり寄せる。それは郷愁。ノスタルジイ。

あの時聞いていた声、音楽。目に映る景色。隣にいた人。鼻を通る、空気の感じ。
思いもよらないことを記憶していたりすることがあるけど、そういうものは大切にしたい。
そう思えるお話。

「小梅が通る」
学校という場所では、様々なグループが自然とできる。活発なアホ男子と静かで地味な男子、華やかで目見麗しい女子とこれまた地味で静かな女子。私、春日井柚木が属していたのは地味で静かな女子グループであった。私は目立つのが嫌いな、元雑誌モデルなのだ。学校には地味な化粧をあえてしていき、学校以外では元の私に戻る。その姿は同一人物とは思えない。私は二人の人間を駆使して平穏な生活を楽しんでいた。しかし、ひょんなことから素顔をクラスの男子に知られてしまう・・・。

美人には美人の悩みがある、なんて言うけどまさにそんなお話。

自分を偽っていた柚木とその素顔を知った山本寛太の心境の変化はこれ、まさに学生の恋愛模様といった感じで、甘く酸っぱい恋の味てなもんで、それはそれなりに読んでいて爽やかな嬉しさがポコポコと湧いてくる。


しかし、特に気に入ったのは、柚木の友人である土田さんと松代さん。
土田さんは食べ物が大好きでそれゆえにたくましい体つきをしているうえに、むしゃくしゃすると河原に行ってバットで素振りをしながら、「うおおおお」と叫ぶ。なんとチャーミングなやつであろうか。
松代さんはオカルト好きで、占いやまじないに凝っていてお札とかも持っている。なんとミステリアスな女性であろうか。

そして、ふたりとも心が太平洋のように広く穏やか。土田さんなんぞ、柚木が自分から正体を明かした時も、柚木の食べ物に強い興味を持っている。
柚木は美形であるがゆえに、わたしたちとは逆のコンプレックスを持っている。ブスであろうと美人であろうと、コンプレックス自体は辛いもの。きっと柚木には柚木の事情がある。」と、ここまで考えられる土田さんと松代さんはイイやつ以外の何者でもない。聖人君子。
土田さんと松代さんにも良き出会いがあることを、願ってやみませぬ。

 

 

そな感じで、いい短編集だった。そして作者の文章が好きになった一冊。
乙一中田永一は「暗いところで待ち合わせ」しか読んだことがなかったけど、情景描写がうまいというか、血の通いを感じる描写が美しい作家。そんなイメージが根付いた今日この頃。黒乙一*1も読んでみるかね・・・。

 

*1:乙一は作風の広い作家さんらしく、感動・人情系の白乙一、少々グロテスクな黒乙一、のある種ジャンル分けがあるらしい