光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

筒井康隆 「アホの壁」

あけましておめでたきことなり。
新年第一冊目となる本でした。 

アホの壁 (新潮新書)

アホの壁 (新潮新書)

 

 養老さんの「バカの壁」のパロディではない云々・・・みたいなことが冒頭にありますが、パロディだろうとパロディじゃなかろうと、それはどうでもよきことなり。

時折り、理性と合理に生きる人間がとんでもないことをしでかす。
「いつも穏やかだったのに、なんであの人がこんなことを・・・」というケースが多々見受けられるのは、その人間が普段は飛び越えない壁を越えてしまうからである。
と、筒井氏の声。それがつまり、アホの壁であるという。

 

そんでもって、人が飛び越えるアホの壁はどんなんがあり、どういういきさつでこの壁を飛び越えてしまうのか。
それをちゃんちゃんとエッセイ風にまとめたのが、本書なのである今日この頃。

 

主に医学的な知見・学説に沿った養老さんの壁と比べると、筒井氏の説明や結論はあやふやな感じもちらほらあったような気もするけど、まあエッセイだし、内容がアホだけにアホとしてアホさながらに読めばいいのかもしれぬ。

 

そんな感じで比較的ソフトでマイルドな内容で、それだけに得るところはあまりなかったんだけれども、とにかくフロイトってやつが底意地の悪いやつで、この世のだいたいの不合理な行いはフロイトの言ってることで説明がついてしまう、ということを感じたのが唯一の得たところだったかもしれない。

 

本のあちこちにフロイトの引用つうか、これはフロイトで説明できるね、はは。
って感じでフロイトの学説がいかに心理学というか、人々の心の奥底に流れているかを感じずにはいられぬ。
トラウマとか、人が精神衛生を整えるためにあえてフタをして閉じ込めている浮世の垢みたいなものを、それはこうでしょ、あんた結局こう思ってんじゃないの、ほらね。という感じでほじくり返す。そんな印象がフロイトにある。フロイトめ。小癪。

本書の例でいえば、どっかの会社のお偉いさんが集まったパーチ―にて、挨拶を任された下請け会社の社長が自社グループの発展を願うスピーチで思わず商売敵の社名を口にして万歳三唱しちゃう。社長、怒られる。下請けの仕事、回ってこなくなる。倒産。一家離散。
「なんであんなこと言ったんだ」。
そんなこと、社長のおっさんにもわからん。お偉いさんを前に緊張していたから、絶対に言っちゃダメだと思っていたことをつい口走ってしまったのか・・・俺のバカ、俺は不合理の権化だ、不合理マン。と、社長のおっさんはしゅんとする。
そこで、フロイトが登場。フロイト言う。「おっさん、あんた本当は倒産して一家離散したこの現状を望んでたんだろ。心のどこかで、仕事めんどくさい、お偉いむかつく、ワイキキビーチにでも行きたい。こう思ってたんだろ。それならあんたの思うとおりになったじゃないか、ほほ。あいつらの顔見たか、金剛力士像みたいな顔して怒ってたぜ。あの顔が見たかったんだろ、あんた」

確かにね。確かにそうかもしれないよ、フロイトさんや。そういう言葉にならない感情のようなものを無意識だか前意識だか知らんが、とにかくあんたは説明しなさる。
それはすげえと思うけど、すごく怖いことですわ。ささくれ。

 

新年早々、フロイトフロイト五月蠅いな、って感じなんですが我ながら。とにもかくにもフロイトに興味を持ってしまったきっかけとなる一冊。なんかいけ好かないけど、どこまでフロイトがこの世の不合理を説明できるのか、それは知りたい。
そういう意味では、この本は人間のアホさ加減を煮詰めた本でありながらも、フロイトの影響力を知るということで、フロイトのファンにはたまらんかもしれない。


とにもかくにも、フロイトの本を読みたくなってしまった。好きではないんだけども。
こういうのもフロイトは説明しちゃうんですかに。あれまあ。

 

なんかフロイトの話ばかりに図らずもなったけれども、本としては三章の「人はなぜアホな喧嘩をするのか」という話が特におもろい。
アホな喧嘩はアホが勝つ、んだと。確かになあ。アホは最強。