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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

上田岳弘 「私の恋人」

書評 上田岳弘

みそか、ですじゃ。いつかのアメトーークで又吉が推薦してた本。永らく積読の刑に処されていましたが、やっとのことで釈放されました。今年、最後に読んだ小説になると思われる。フィナーレにふさわしいというか、なんとも壮大なお話でした。

私の恋人

私の恋人

 

雰囲気としては、古いですが手塚治虫の「火の鳥」、キューブリックの「2001年宇宙の旅」なんかに似たものを感じる。人類とその歴史、成り立ち、行く末をどこまでも俯瞰する。そんな感じ。
恋人、ってことだけど恋愛ものではない。けど、ある意味では完全無欠の純愛を描いた物語といえなくもない。


内容をざあっと。

主人公は「私」、井上由祐。現代に生きる、至って普通のサラリーマン。ただ、彼には他の人間とは異なる、ある事情を抱えている。

その事情とは仏教でいうところの、輪廻転生。
井上由祐は二度の生まれ変わりを果たし、現在三度目の人生を生きている。初めは現生人類のクロマニヨン人として。二度目はWWⅡにおけるユダヤ人、ハインリヒ・ケプラーとして。これらの変遷で記憶をそのまま次の世代へと継承させ、「私」という人格を共有している。

そんな「私」、ことに一期目のクロマニヨン人の私はずば抜けた知能を持った存在であった。原始時代から文明の幕開けを迎え、世界各地へと物理的・精神的に拡大していく過程、起こりうる出来事を遥か彼方まで想像し、予測することができたのである。

「私」が考えるところによれば、人類は「旅」を続ける存在であるらしい。一周目は、世界各地へと人類を伝播させる旅で、アフリカに始まったとされる人類が世界中に遍在することになった。二周目は、強力なイデオロギーを世界各地へと伝播させる旅で、これは侵略と戦争によって終結した。そして、今現在が三周目となる。
「私」は輪廻転生を繰り返すことで、そのそれぞれの旅に身を置いている。

常人とかけ離れたようにも思える「私」であるが、異性を求めるのは同じであった。
クロマニヨン人の時に思い描いた理想の女性「純少女」。「私」は、輪廻転生をすることで、この女性にいつか巡り合う日を待ち望む。それは「私」にとっての旅であった。

 

 

長くなってしまってかたじけないんですが、おおむねそんな感じだった。スケールが大きすぎて、凡田庸一の僕にはなかなか理解・把握するのが大変だった、ちうのが正直な感想です。そして、それだけにとても面白かった。具体的な地理・歴史の知識とそれを繋ぎ合わせる想像力の相乗効果って、ここまで行っちまうのかと。

すげえなあ、頭いいなあ。と感心しっぱなしでしたが、改めて考えてみると、似たような筋書きの作品は他にもある。なんていうんだろう、人類俯瞰系というか、コスモ的というか。それで、なーんだ、とも思ったけど、それを小説の形にして、こうして世の中に出したというのはものすげえ(僕が他のこのようなテーマの小説を知らないだけかもしれないが)。

 

三周目の旅の終わりは、人工知能の完成とともにある、とされている。これは非常にタイムリーな話で、いろんな意味でいいなと思った。これは間違いなく現代の人間のそもそもの在り方に根本的な疑問を投げかけるものであると思うし、そういうものを今考えなかったらいつ考えるんだろう。この話を3,40年前にするのと、今するのでは世界の受け止め方が違う。
作者である上田さんの意図は計り知れないが、小説の形をした警告であることを感じる人は感じるだろう。そういう意味で、こうした人類俯瞰系のテーマは更新されるべきものだと思うし、この小説はその更新を見事に果たすんではなかろか。

 

世界がこうなることが「私」のような限られた・選ばれた人間にのみ予測可能で、他の凡庸な人には予測なんて難しかった。「私」以外のクロマニヨン人や、ユダヤ人は飛行機が空を飛び、地球の裏側にいる人とリアルタイムで電話したり、人がボタンひとつで何万人もの命を奪えるような時代が来るとは想像もつかなかっただろう。
それは今の時代でも同じことで、僕は50年後、100年後、1000年後・・・の地球と人間の有り様を夢想する事もできない。きっと、今では考えられないような思想・技術があって、当然のように語られているんだろうな、と思う。それは、とてもいいことだとも思うし、とても怖いことだとも思う。

 

「そしてね、いいかい、キャロライン・ホプキンス、そして僕らはね、我々人類は、全てを彼らに明け渡すことになる。夢も希望も、正しいことも悪いことも、経済も芸術も。全てを。そして我々は、彼らにとってタスマニア人以下になる」

                          本文116ページ

火の鳥」の二章目だったか三章目だったかの、核兵器によって人口が激減して地底で暮らす人々の話を思い出した。彼らの生活を規定するのは、自ら生み出した人工知能であった。結果、彼らは人工知能の命令によって核戦争を決行し、自ら人類の根絶を果たす。そんな話。


ただこの会話のあとにある、「物質から生まれた生物が、高等生物となって意識を物質に宿すことに成功し、再び物質に戻っていく」という話はそういうものか、と納得してしまった。そういうものかもしれない。

 

ところで、表題である「私の恋人」には、?である。なんで恋人なんだろう。恋人でなくても、待ち人とかではだめなのか。
男女の別というものに、人は時空を超えて執着せざるを得ないのか。
とにもかくにも、あるひとつの女性像を追い続けたその姿は純愛そのもの、なのかなあ。

 

お話の結びは、なんとも爽快だった。
想像力を刺激する、とても面白い本。