光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

町田康 「きれぎれ」

1ヶ月前。
僕には沖縄県から東京にやってきたひょろひょろの友人がいて、そいつは最近本をよく読むようになったらしい。そんで、「なんか面白いのない?」と標準語で聞いてきた彼。町田康の本が面白いよ、と答える僕。ふーん、と答える彼。そしてそのあとは新宿のゴールデン街に行った。そして財布を失くした。寒い。


時は流れてついこないだ。たまたまというか、どちらかというと計画して会った彼からこの本を読んだことを聞かされた。「よく分からなかった」。これはお薦めした方としては哀しいというか、情けないというか、とにかくブルーなそな感じ。その時僕はまだこの本を読んでなかったもので。でもその後、「文章を読むこと自体の楽しさはかなりあった」とのこと。マンダム。

 

きれぎれ (文春文庫)

きれぎれ (文春文庫)

 

 芥川賞受賞作、ってとこにこの沖縄マンは惹かれたんだろうけど、まあ芥川賞というだけあってというかなんというか、僕もこの物語の意味とかはよく分かりませんでした。

「告白」とか「くっすん大黒」とかとは明らかに毛色が違う感じがする。

<とりあえずあらすじ>
・きれぎれ
売れっ子画家になり損ねた男が、自分より劣っているのに売れている画家を目の敵にしてあーだこーだ奔走する話。

・人生の聖
平凡な男の脳みそがある日突然覚醒した。仕事はできるようになったが、もはや普通の身体には戻れなくなってしまう。覚醒した後の世界は夢かうつつか、よく分からない。

 

友人の言っていた「文章自体の面白さ」はあるものの、他の作品に見られるようなユーモラスというか、自然と笑えてくるような描写はほとんどない。示唆的でいるようで、それでいて何も意味していないのか。考えれば考えるほどよく分からなくなってしまう。だからこその芥川賞、なのかもしれないけどね。

 

きれぎれに関しては、随所で出てくる文章の結びが印象的だな。

大小の俺は四分五裂、こなごなになって飛び散り、それぎりすべての俺の意識が途絶えた。血液が霧状に飛散して青空に虹。

                           98ページより

 

白い光が目のなかに溢れ、俺は再度、叢に、どう、と倒れた。靴裏の雨。霰。怒号。

                          100ページより

 

再度、飛行機が空を引き裂いた。穴の手前で振り返ると、青空。きれぎれになって腐敗していて。

                            104ページ

 

他にも多々あるんだけど、引用に手ごろなのが以上。
このなんて言ったらいいか分からない書き方は、今まで読んできた町田さんの作品ではあまり見られなかった。いや、あったのかもしれないけど、気に留まらなかった。
でも、たぶん何かしらの意図がある。そして、それゆえの芥川賞なのか、とも浅はかに考えてしまう。

この表現のもとでは、読者を視覚的なイメージ・シーンへと強制的にいざなう、という効果がある。そんな気がした。フラッシュバックのように。

 

作品の色としては、他の小説よりも、この詩集と同じ感じがする。

土間の四十八滝 (ハルキ文庫)

土間の四十八滝 (ハルキ文庫)

 

 「告白」や「くっすん大黒」、「パンク侍、切られて候」など町田さんの代表的な小説の特徴のひとつは、果てしない思考実験の賜物だと、そんな風に筒井康隆が評していた。果てしない思考実験。普通は見逃してしまうようなつまらない事や些事に町田さんは想像力と妄想力を膨らませ、その細部をいちいち描写することでこの実験をする。
そのユニークで綿密な説明が町田さんの小説の魅力のひとつだと思うんだが、これがあってはならないのが、おそらく詩という表現方法。

長ったらしい細かな説明はなく、ただ読む者の感受性に任せる。
それが詩だとすると、詩はとても分かりにくいという一面も持つのではなかろか。
意味は確かにあるんだろうけども。

そして、この「きれぎれ」。
他の小説に見られるようなユーモラスな町田さんの思考実験はほとんど見られない。
意味をたくさん含みながらも、その説明をあえてしない。
それは詩とおんなじではなかろか。

 

 

と、今これを書きながら気づき、そう思う。
よく分からなかった、というやる気ない中学生のような情けのない感想が第一でしたが、なんだかんだで町田康という作家の奥深さを改めて感じさせる一冊であったよ。

 

ビバ!町田!ビバ!カッパ!