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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

町田康 「猫にかまけて」、というか人に本を薦めるという事について

書評 町田康 よしなし

突然私事で片腹痛いですが。

自宅で遠くの杉の木とかを見ながら呆けていると、たまーにどこかしらの家で飼われていると思われる猫がふらっとやってくる。我が家は塀というか遮るような仕切りが何もない家なので、おそらく猫の散歩ロードのひとつになっているんだろう。

猫の姿を見るや、僕は「にぼし」を取って外にでる。そして二、三匹のにぼしを片手に猫に近づいていく。案の定、ビャッと猫は逃げる。
 寂しいので、猫がまた来た時に食べられるように、そして我が家を「にぼしが食べられる家」として認識してもらえるように、道端ににぼしを撒く。

そうするとどうなるかっちうと、にぼしを点々と落とされた公道を見て、近所のおばさん達が「あの家のせがれったら、働きもしないで道ににぼしなんか撒いて何してるのかしら・・・たまに薪割ってるし。やーねえ」と井戸端で話し合う。
僕はそんな世間の荒波に負けずに、コツコツとにぼしを撒く。
 なんとしても猫がうちに来てほしい。
 僕は猫が好き。

ということで、この本を読んだ、ちうわけであります。

猫にかまけて (講談社文庫)

猫にかまけて (講談社文庫)

 

 
 この本は久しぶりにというか、珍しくというか、恐れることなく人に薦められる本です。
 というのも、そもそも本を他人に薦めるというのは、結構ハイテクニックな行為だと思うわけでありまして。だって、相手の趣味嗜好、読書歴はおろか、異性のタイプや恋人の人間性、結婚観にも配慮しなければならんのですよ。

 

これ、どういうことか。


 例えば、野呂くんという友人に「何かおすすめの本ない?」と聞かれるとする。そこで最近読んでいた遠藤哲夫の「ぶっかけめしの悦楽」という本を貸す。野呂くんは「ぶっかけめし?なかなか面白そうじゃん、メルシー」と言って去っていく。
 三日後、野呂くんは目がランラン、意気は揚々として走り寄ってくる。「こないだのあの本、めっちゃよかったぜ!あんがとな、メルシー」と礼だけ言って、本を返すことなく去っていく。本を返してもらえなかったものの、あんなに喜んでもらえるならまああげてもいいか、めでたし、となる。

 

ところがめでたしでないのである、全く。
 というのも、野呂くんは近頃彼女ができていたのだ。名前はアケミ。それはそれは、可愛い彼女だった。百人が百人、振り返るような美女だったのだ。
 アケミは日本舞踊の先生をしている母に厳しく育てられ、容姿端麗成績優秀はもちろんのこと、母譲りの日本舞踊は完ぺきにこなすし、それでいてリコーダーの鼻吹きやピコ太郎のものまね他多彩な一発芸を持ちネタとするという、優等生に不足しがちなユニーク性も持ち合わせていた。後半の部分はさておき、厳しい家庭に育てられたのだから、食事の作法などにも厳しい。


 ある時、スターバックスで膝をつき合わせながらラブっていた野呂くんとアケミであったが、アケミの一言に野呂くんは驚愕する。
 それはちょうど、「湘南の地元民が行くおいしいランチ百選」というガイドブックを見ていた時である。そう、ここは湘南。なぜ湘南かというと、湘南はサーファーが多い。サーファーが多いということはこれ、すなわちラブ・ゲームが多い。そんなわけである。ただ、野呂くんはサーファーではない。ということで、何はともあれそういう本を読んでいた時。

アケミ「おほほ、優雅な午後ですわね、野呂くん。さてと、来たる日曜日に予定しているおデートで行くお店でも選んでみましょうか、戯れに」
野呂くん「そうだね。あ、見てみて。こことかもいい感じじゃない?古き良き食堂って感じがするよ」
アケミ「否、まったくもって否である」
野呂くん「・・・へ?」
アケミ「へ、ってなんですの?」
野呂くん「いや、否って・・」
アケミ「いやですわ、という意味ですわ」
野呂くん「いや、それは分かるしなんでいきなり武将みたいな受け答えするのかと思って・・・まあそれはさておき、なんで嫌なの?」
アケミ「おつゆをごはんにかけるなんて邪道ですわ」
野呂くん「・・・」

 その店の写真には、メニューであるぶっかけめし定食が載っていた。ところが哀しきかな、「由緒ある家系」で厳しく育てられたアケミには、ぶっかけめしに対する偏見的な意識が根付いていたのである。アケミにとってぶっかけめしといえば、使用人の次郎べえが軒下で飼っている野良猫に猫マンマとしてあげるものであって、おおよそ人間が食べる物だと考えていなかったのだった。

これを知った野呂くんのショック、計り知れない。
 というのも、野呂くんは僕があの本を貸した日を境に、ぶっかけめしへの情熱が燃え上がり、「三度の飯よりぶっかけめし」というキャッチ・コピーを家の壁という壁に貼り、「ぶっかけめし以外を食卓に出したらグレる」という脅迫を実の父母につきつけるほどに、ぶっかけめしに心酔していたからである。野呂くんの父・野呂公彦はこう証言する。
 「・・ありゃあ、人間の眼じゃなかったですよ。なんていうか、こう・・FFでいうとバハムートみたいな・・」

 

そんなこんなで、文字通りぶっかけめしの虜になっていた野呂くんにとって、このアケミの対応は史上最大の悩みの種であった。
 早い話が、ぶっかけめしを取るか、アケミを取るか、であった。アケミに「ぶっかけめしと私、どっちが大切なのよ!!」と涙混じりに問い詰められているのと同じである。
 悩みに悩み、四十八時間ほど飲まず食わず寝ずで考えた挙句、野呂くんはアケミを取ることにした。
 アケミはもはや、ただの彼女ではなかった。自分の人生の半分はアケミのものだった。そして、それはアケミも同じだった。自分とアケミはもはや、一心同体で運命共同体なのである。
 それに引き換えぶっかけめしは、たかがぶっかけめしである。あんなもの、ただの白米と汁ではないか。ほほ。笑っちまうぜ。野呂くんは思った。
 しかし、されどぶっかけめしである。あれほど白米と汁がハーモニーを奏でる食べ物は、この世にふたつと存在しない。ぶっかけめし、たかされ。

しかし、やはりアケミの気持ちを考えれば無下にすることはできなかった。
 この日、野呂家に普通の食卓が戻ってきたのである。母は泣いた。父は飲んだ。二人の顔を見て、野呂くんは親不孝をした、と自分を恥ずかしく思った。早いところ、アケミと結婚して、そして孫の顔を見せてやろう。湘南の空に、野呂くんは誓った。

 

そして月日はめぐり、いよいよアケミの両親に挨拶することになった。アケミとともに、アケミの家を訪ねた。
 口下手で人見知りの傾向がある野呂くんであったが、そんな中に誠実さと実直さを見てとったアケミの父母はふたりの結婚を許した。そして、せっかくだからと夕食を呼ばれたのである。これがあかんかった。

父母がうまく話を進めてくれるものの、口下手で人見知りの野呂くんは緊張の極みに達していた。ずっと正座していることもあって、意識は散漫とし、しかもやや肥満気味であったため一張羅のスーツは暑く、すっかり火照っていた。朦朧とした意識の中で、野呂くんは目の前に置かれた夕食を目にした。純和風の食卓であった。艶のある白米、香ばしく焼けた旬魚、旬菜、そしてみそ汁である。

あとはもう流れるままであった。中毒とは怖いもので、酒もたばこも、やめられたと思った途端に突然顔を出すのである。そして、意図するまでもなく再度溺れてしまう。
 野呂くんは言うまでもなく、ぶっかけめし中毒であった。そして、意識が朦朧としていた野呂くんの脳内にもはやぶっかけめしのストッパーはない。考えるまでもなく白米にみそ汁をかけていた。浸る白米、満ちるみそ汁。その光景は、野呂くんを安心させた。ああ、ぶっかけめしや・・。

 

次に野呂くんが意識を取り戻した時、野呂くんは「パーラー大学」にいた。
 なぜ?アケミは?アケミのおとうさんやおかあさんは?ていうか、なぜパチンコ?
野呂くんがかすかに覚えているのは、金剛力士像のようにいきり立ったアケミ父の姿と、アケミを抱くアケミ母の姿。そして、感情を失くしたようなアケミの顔。ふいに、視界が真っ暗になり、星が飛んだ。頬が焼けたように痛い。アケミ父が殴ったのだろう。そうだ、俺はぶっかけめしを・・・。何が起こったか、すべて悟った。
 野呂くんはアケミを失った。そして、ぶっかけめしが帰ってきた。野呂くんは笑った。笑うしかなかった。そして、少しく泣けた。

 

 

ここまで書いてみて、「もはや猫にかまけての書評の体裁ではなくなってしまった・・・」と後悔しているナウなのですが、もったいないのでこのまま書きます。

 

十年後、湘南にとある有名料理店が店を構えていた。店の名は「ぶっかけ人生」。
 そう、野呂くんがこの店のオーナーである。開業数年足らずでミシュランの3つ星を獲得し、飲食界の今をきらめく、時代の寵児的存在である。

アケミとの関係が終わった後、半年の間すっかりふさぎ込んでいた野呂くんは、かつてアケミと見たガイドブックに載っていた食堂に行ってみることにした。
「元はといえば、ぶっかけめしと出会ったのが悪いのか。しかしだからといって、ぶっかけめしに罪があるわけではない。罪なのは人間さ。食べ物自体に貴賤などない。そんな人間の身勝手な枠組みを、食べ物にはあてはめるべきではないんだ。結局、俺たち人間はぶっかけめしに対して、業が深いんだよ・・・。だからといっちゃあなんだが、俺はぶっかけめしの供養をしたい。食べおさめ、ってやっちゃなあ・・・」
 食堂で注文したぶっかけ定食を食べているうちに、野呂くんは泣けてきた。わんわん泣いた。近くには常連と思われるジジイがいたが、構わず泣いた。あまりにも泣いているので、「何があったんでえ」と店のオヤジが近寄ってきた。
 いきさつのアレコレを嗚咽・鼻水混じりに語りつくすと、オヤジは野呂くんの眼をじっと見て言った。
「食べおさめることが供養じゃねえ。作り続けて、食べ続けてこその供養ってもんじゃねえか、え、あんちゃんや。違うかい」

 

その一言は野呂くんのハートに火を点けた。
 今考えると何を言っているかよくわからないが、とにかく俺を立ち直らせた。ぶっかけめしで一度は狂った人生だ。こうなりゃ、ぶっかけめしと行けるところまで行ってやろう。
 オヤジの店で修業しながら金をため、三年後に開業した。開業後ほどなくして、オヤジが死んだ。閉店間際、常連のひとりに定食を出し終わったとたんに倒れたという。オヤジの葬儀はひっそりと行われた。妻子もなく、親類もちかくにはなかった。ささやかな葬儀であったが、常連の客が何人も来て焼香をあげていた。仏前にはぶっかけめしが供えられていた。常連はみんな、泣いていた。


 その時、野呂くんは誓ったのだと思う。世界一のぶっかけめしを世の中に提供し続けることを。
 アケミ?んなもんは、知ったこっちゃない。俺はあのオヤジのぶっかけめしを美味しいと言ってくれた常連のみんなのためにも、ぶっかけめしを絶やしてはならない。

そう思って駆け抜けた数年間であった。気付けば、なんの拍子かわからぬが健康ブームとやらに乗り、ぶっかけめしはナウでヤングでトレンディな食べ物となっていたのだ。世の中、何が流行るか分からない。そして、そんな世間の熱に浮かされずに地道に味の追求を続けた結果、ミシュランに認められるようになったというわけだ。
 見ろよ、オヤジ、あの常連の顔を。飯粒ひとつ残さずに満足そうに帰っていくんだよ、オヤジ。オヤジ、俺は間違ってなかったよ・・・。

野呂くんは今も三日おきにオヤジの墓を訪れては、ぶっかけめしを供えている。
めでたし。

 

 

と、野呂くんはめでたしめでたしなのだが、悲惨なのはアケミである。

「なんてやつを連れてきたんだ!」と般若のように猛り狂ったアケミの父。「やはり自由恋愛がいかんのだな、小癪な。お前にはこの父と母がふさわしい相手をみつけてやるわい。今後、どこぞの馬の骨と付き合うことは許さんぞ」と言って母と相談して、見合い相手を勝手に決められるようになってしまったのである。

見合い婚とは因果なもので、こうした古き良きあるいは悪い伝統を重んじる家系においては、政治的な目論見というのがあったりするものであり、アケミの場合もその域を出なかった。アケミの相手は家柄が立派であり、ぶっかけめしを食らうような食文化を持たぬいわゆる「由緒正しい家系の坊ちゃん」であったが、その性格は冷徹にして残酷、おまけに腰抜けであった。
 カエルを切り刻んでは使用人の背中にいれて遊んだり、野良犬を足蹴にしたり、街で見かける不良・チーマーに怖気づき、金を持っていることが災いして逆に目をつけられてしまい、彼らに定期的な小遣いを献上していたり・・と例を挙げればキリがないほどである。しかもそのくせ、ベッドの上では乱暴にアケミを抱き、しかも短いのであった。色々と。

そうして、半ば強制的に結婚させられてしまったが、例の不良やチーマーが成長するにしたがって要求する金額も膨らんでいき、ついに自己破産してしまった夫は、自暴自棄になり「徳川埋蔵金を見つけるで」と言い残したまま、消息を絶ってしまったのである。

なんたる不幸であろうか。

 

 

 

ということで、予想以上にたとえ話が長くなってしまったのはかたじけないのですが、本題に戻りたいと思うわけでありまして。その前に遠藤哲夫さん、すみません。何考えることもなくぶっかけめしとその本を題材にしてしまいました。ぶっかけめし好きゆえです。

本題。
もしも、野呂くんにぶっかけめしの本を貸さなければ、野呂くんとアケミは二人で幸せに暮らしていただろう。野呂くんはぶっかけめしの店を開くことはできないが、愛する人がそばにいるという幸せがあった。アケミもそれで幸せであった。ここに二人分の幸せがある。しかし、ぶっかけめしの本を貸したことで、幸せは一人分になっている。

 

そう、人に本を貸すということは、多大な影響力を持つ可能性があるものなのである。
 だから、本を貸す相手の趣味嗜好や読書歴はおろか、異性のタイプやその恋人にまで意識を張り巡らしたうえで、本は貸す方がよい、ということなのです。

まあ、そこまでするのはなかなか難しいしできないので、そこまで考えずに貸したり薦めたりしますが、やはりその人の小説の好き嫌いを見極めて薦めるのは難しい。

 

 過去に、とある年上で独身の方に「なんかオススメない?」と聞かれ、その時に読んでいた江國香織の「きらきらひかる」を薦めたら、「なんか結婚したくなくなっちゃった」と言われたのが印象的です。僕は江國香織が好きなんですが。

それ以来、気軽に本を薦めるのが少しく怖くなったというわけでありまして。

 

でも、この町田康の「猫にかまけて」は珍しく結構な大多数の人におすすめしたい本です。・・・ちうことなのですが、あまりにも長くしてしまったため、「猫にかまけて」の書評は次回に持ち越すことになったのでした。

 

ちゃん。

 

 PS:遠藤哲夫の「ぶっかけめしの悦楽」は椎名誠のなんかの本に出てきた本である。ぶっかけめしを日本人の食事の原点である、とする論旨から導かれる色々な考察が興味深い。