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光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

悪いサンタが来た話

もうクリスマスでんなあ。
関西のおっさんはこの時期にこう言うんだろうか。
あるいは、やや簡潔に、もうクリスマスやなあ。
もうクリスマスやっちゃなあ。
もうクリスマスでおますなあ。
考えても考えても分からない問題がここにあった。

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そんなわけでというかなんというか、日本中の子供たちが今年一番の物欲を垣間見せ、恋人たちが聖夜ならぬ性夜をちょいなちょいなと愉しむ、そんなクリスマスが目前に迫っている。
紛れもない事実。

とはいえ、今年の自分はひとり山小屋で薪を割るしかない状況にあるので、世間様のようにおおっぴらに楽しむこともできず、七面鳥を買うお金もなく、薪ストーブにあたりながら神の河でも飲みつつ、「主は来ませり」でも口ずさむしかないわけでありまして。

哀しきわびしいクリスマス。

 

クリスマスはもっと、楽しいべきであると思う。我ながら。
本来の宗教的な目的から万光年離れていようと、日本経済がまわり、街に非日常が溢れ、トイザらスが分厚いカタログを各家庭に配布し、お母さんが慣れないチキンを焼く。
すばらしきクリスマス。

サンタさんを信じていただの、あの年のプレゼントは何をもらっただの、なんだのと時を経てもクリスマスの思い出というのは色あせないものですが、僕にも一生忘れられないクリスマスがあった。
それは、2002年(おそらく)のクリスマス。小4のクリスマス。

 

 

おおよその家庭には、お父さんなる存在があると思うが、まあ世の中には色んなお父さんがいる。優しいお父さん、怖いお父さん、面白いお父さん、不景気なお父さん、そして古臭いお父さん。我が家のお父さんは、古臭いお父さんであった。

古臭いお父さんは、一体どんなお父さんか。
それすなはち、レコードプレイヤーを持っているお父さんである。LPってやつだね。
こち亀の初期に出てくるアグネス・ラムが出しているようなのが、LPである。CDの5まわりほども大柄で、針でひっかくようにして音を楽しむやつ。

んで、LPを持っているとどうなるかっつうと、クリスマスのLPをお父さんが持っていたわけである。このクリスマスのLPが悲劇の根源となるんだね。

 

今でこそDVDやBD、あるいは他の何かしらでクリスマスっぽい映像や音楽なんて簡単に楽しめるけど、昔はそうではなかった。そこで、登場したのがクリスマスソングとクリスマスのお話を詰め込んだLPである。
親父は物心ついたときからこのLPを聞いて育ったらしく、古臭いために物を大切に保存し、せがれにも聞かせるに至った、というわけであります。

 

うろ覚えながら、レコードの内容はクリスマスのお姉さん(正体不明)とその辺の子供が会話形式で進めていくというものである。
お姉さんがクリスマスにまつわる色んなお話をしたり、歌を歌いながら、2人でクリスマスイブを過ごす、という感じだった。

最後がなぜか「蛍の光」で締めくくられていたことや、断片的なセリフは覚えているのだが、細かい所はほぼ覚えていない。しかし、ある話だけは心に深く刻まれている。それはこんな話。

 

いいサンタと悪いサンタ(へそ曲がりのじっち)
お姉さん「ねえ、坊や!サンタにはいいサンタと、わる~いサンタがいるの知ってる?」
坊や「え!知らな~い!」
お姉さん「いいこと。いいサンタさんは、良い子にしていた子にプレゼントをたーっくさん持ってきてくれるんだって。それでね、悪いサンタさんはどうすると思う?」
坊や「え!ど、どうするんだろう・・?」
お姉さん「まずね、サンタさん同士で相談して、子供をいい子供と悪い子供に分けるのよ。それで、悪い子供にはどうするか話し合うんですって。」
坊や「え!どうなるの?!」
お姉さん「それでね。悪い子供には悪いサンタさんが、木の枝の束を持ってくるんですって!」
坊や「えー!そんなへそ曲がりのじっちなんか、いやだい!!」
お姉さん「坊やは、いい子にしてた?」
坊や「ぼ、ぼく、いい子だもん」
お姉さん「そうよね、いい子よね。みんな、いい子にしてプレゼントをいーっぱい貰いましょうね」

ディティールはともかく、概ねこんなお話であった。
いい子にしていないと、悪いサンタが木の枝の束を置いていく。これが我が家の鉄の因果律となった。

これはクリスマスにプレゼントをもらうことを至上命題としているチルドレンにとっては、そんじょそこらの怪談よりも怖い話である。そして、我が家ではクリスマスの一ヵ月前くらいからこの話が聞かされない日はなかった。

 

そんなわけで2002年。この年、僕が欲しかったのは発売したばかりのゲームキューブ大乱闘スマッシュブラザーズDXであった。

ユーチューブもスマホもない時代。僕はひたすらテレビのCMを見たり、トイザらスのカタログを見ながら、それを手にした時のことを夢想し続けた。
サンタが欲しいものを持ってこないことなど、つゆほども考えなかった。毎年のように「今年は悪いサンタがくるかもね」と親に脅されつつも、25日の朝にはプレゼントが置いてあったのだから。僕はイブを迎えるまでもなく、25日を友達とどう遊ぶかについて計画しており、既に手に入れたつもりであった。まったくもって、愚かである。

 

24日から25日にかけての時間というのは、とても不思議で特別な時間である。
サンタがいつ来るか分からない。落ち着かない。眠れない。
そんなこんなで悶々とし疲れ、いつしか浅い眠りに入ってしまう。

そして25日未明。
「あ!寝ちゃった!サンタは?!」と飛び起きて枕もとを見ると、暖色の就寝灯にぼんやりと浮かび上がるプレゼントが置いてある。その瞬間は、何物にも代えがたい胸の高まりがあった。
隣で寝ている姉や妹も起こして、サンタがやってきたことを兄弟姉妹で祝う。
親が「どうしたのよ」とやってきて、目をランランに輝かせた子供たちを見て、「今日は遅いから朝早く起きて遊びなさい」と言う。

この幸せな光景がいつものクリスマスであった。
しかし、2002年のその年は地獄だった。

 

何とか寝付いたことに我ながら安心した僕は、いつものように25日未明に目を覚ました。何もない。あるはずのものがない。
最悪の結果を考えるということを知らなかった僕は、まだ早かったか、くらいにしか思っておらず、もうひと眠りしようと思った。その時、枕元に何か黒っぽい筒みたいなものがあることに気付く。

木の枝の束であった。麻ひもで2重に縛られた何の枝か分からないけどとにかく枝の束が、そこに鎮座している。

悪い夢だと思って寝た。

 

翌日、けして悪い夢でなかったことに気付く。そこにあるは、木の枝の束。
あの話が思い浮かばないわけがない。
泣いた。ひとしきり泣いた。妹も姉も泣いた。わんわん泣いた。

そして、それら3つの木の枝の束はその日のうちに薪ストーブにくべられ、束だけに束の間、我が家を暖めて終わった。

 

 

僕らはあの年、悪い子だったのだろうか。
そもそも、悪い子ってなんやねん。いうことを聞かない子、宿題をしない子、いじめっ子・・・まあ色々あるだろう。
そういった禁忌を全く犯していなかったわけではないが、あの年の僕らは全体的に見ていい子の部類だったと思う。

宿題はしていたし、いうことはまあ半分くらいは聞いていただろうし、いじめもしなかった。姉と妹に関しても同じだろう。
では、何がいけなかったのか。

 

 

何もいけなくはない。おそらく、原因は親父にある。
といっても経済的な理由から買えなかった、とかいうのではない。
ただ単に、あのLPのお話を実現してみたかったのだと思う。
もちろん、何万もするゲーム機を買うのが家計の痛手であったことは事実であろうが、おそらくは親父の興味・関心・好奇心から今回の悲劇が引き起こされた。
ただ話としておくのもなんだから、せっかくならいつかやってみたい。
そんな気持ちがどこかにあったんだろう、と今では思う。


また、説教好きな親父なので、教訓としての意味もあったろう。
何度となく訓戒の例として話しておきながら、それまで平和裏に落ち着いていた我が家のクリスマス。そんな家庭の様子を見て、「世の中は甘いことばかりじゃないんだわさ!」と親父は心を鬼にして、イエス様に代わって神の子の裁きを下したのである。

さらに我が家の親父は古臭いお父さんであった。古臭いということは、言い伝えや御伽話などのノスタルジックなメルヘンが好きでもおかしくはないちゅうことである。

 

そんなわけで2002年のクリスマスは一生忘れられないものとなった。
3人同時、というのがまた悲劇だったなあ。


当時は2,3日ふさぎ込んでいたような気がするが、今となってはいい思い出である。
そう考えてみると、クリスマスとはプレゼントがあってこそ、ってわけでもないような気もする。
結果はどうあれ、一生忘れない一日を刻み込む、という要素がクリスマスにあってもいいんではないか。特別な日なんだし。
その点では、2002年のあのクリスマスはいろんな意味でずば抜けたクリスマスだった。
こういう演出は、プレゼントをただ買うよりもある意味困難である。

なんとなれば、子供がぐれてしまう可能性もないではない。枝て。

 

僕にもし子供ができて、同じようにクリスマスのことを考えるようになった時、僕は木の枝の束を贈るか。
分からないねえ。

 

ハリネズミとか贈りたいわね。子供に。