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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

カミュ 「異邦人」

 明治大の斎藤孝が何かの本で勧めていた一冊。

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 

ドア、太陽、打ちひしがれる人。
なんとも言い難い表紙。

 

<あらすじ>

母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、不条理の認識を極度に追求したカミュの代表作。

                         本書紹介より引用

 

読了感。
世界的な名著らしいですが、かたじけないことにその良さというか、名著たる何かを感じることができませんでした。正味、難しかった。

なんとなく言わんとしていることは、ぼんやりと把握できるのだが、全体の流れとか、全体におけるあるセリフや描写の意味といったものがさっぱりよ。

 

一回読んだ感じでは、哲学や宗教の話にある程度通じていないと、カミュの言わんとしていることを真に理解することは難しいんじゃないか、って感じ。
これは他の翻訳本にも通じることかと思っているんだけど、西洋人の書いたものは多くの日本人には簡単に理解できないものかと思う。
というのも、西洋人が当たり前のように日常に取り入れている宗教観を日本人の多くは持ち合わせていないから。
海外、とりわけ古典とされるものはキリスト教の文化・習俗を多分に含んだものが多い気がするので、その前提知識・バックグラウンドを持っていない日本人にとっては難しいものが多い。ような気がする。

 

理解できなかった言い訳ともいえるんですが。

 

そんなおそまつな感じで、サルトルとか一級の哲学者がレビューしていることもあって恐縮なんですが、一応読んで感じた事をメモ程度にさらいませ。

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内容としては、2章に分かれていて、第1章が母の死からマリイ、レエモン、サラマノなどの交友関係を経て衝動的にアラビア人を殺害するところまで。第2章が留置所、裁判、そして死刑に至るまで、となっている。

 

お話は主に主人公・ムルソーの語りで進んでいくのだが、このムルソーという男が「非常識」なやつだった。
多くの人間にとって結婚は愛し合う者の契約であるし、死は恐怖の対象である。
しかし、ムルソーにはそのような結婚の概念はないし、いつ死んでも変わらないという。

 

他のひとより先に死ぬ、それは明白なことだが、しかし、人生が生きるに値しない、ということは、誰でもが知っている。結局のところ、三十歳で死のうが、七十歳で死のうが、大した違いはない、ということを私は知らないわけではない。というのは、いずれにしたところで、もちろん他の男たちや、他の女たちは生きてゆくだろうし、それにもう何千年もそうして来たのだから。要するにこれほど明らかなことはないのだ。今であろうと、二十年後であろうと、死んでゆくのは、同じくこの私なのだ。

                          本文117ページ

 

ムルソーはこうした死生観を持っているが、その理由・根拠などは一切ない。
ただそう感じているだけであり、「意味のないことは話さない」とムルソーの内向性を弁護したように、このことについてもムルソーは持論を展開するだけ。

早い話が、何事につけても積極性が見られない、そんな男。
何を考えているかがよく分からない。

 

世間一般が「常識」と考えることから逸脱した「非常識人」であり、何を考えているか計り知れないために意思疎通が難しい存在として、ムルソーが描かれた。
表題の「異邦人」とは、そんなムルソーの姿を表しているのだと思う。

ただ、ムルソーの考えについて冷静になってみると、あながち全面的な間違いではない、とも思ってしまう。
すると、常識と非常識とはなんなのか。という大きな命題が見えてきてしまう。
そこに解は見いだせないものの、その問いかけを有しているのが本著の名著たるゆえんなのか。はて。

 

 

また、読んでいて気が付くのが、情景描写。
自然界にあるもの(水とか空気とか光とか)の描写が多く、とりわけ太陽に関するものが多数。特に太陽に関しては、なんらかのメタファーがあるのかね。

それから、色に関する描写も目に付いた。

眼のなかに、空の全体が映った。それは青と金色だった。

                           本文22ページ

 

夕方、表へ出て、岸に沿ってゆっくりと帰るのが愉しかった。空が緑で、愉快に感じた。

                           本文28ページ

金色というのは、陽光が非常にまぶしく、視界を極めて明らめているのを指しているんだろう。・・・緑の空っていうのはよく分からない。
ただ青、白、灰色、黒と例えられる空の色をこうしてカラフルに描くのは美しい表現だと思う。特に金色。

 

刑務所に入ってからは、こうした鮮やかな描写はほとんどなくなり、ムルソーの内省と裁判のシーンが多くなってくるが、色んな意味でクライマックスは最後に来た神父さん?とのやり取りだったのかな。

解説では色々と腑に落ちたり落ちなかったりだったけど、

「嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ」

という著者の言葉が光る。

 

時間をおいて、また読み返してみたい。