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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

ジョニー

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今日は満月。

ふと、ジョニーを思う。
ジョニーって誰ね。て感じだけど、ジョニーはジョニー。
多分、アメリカかアルゼンチンか、もしくはドミニカあたりにいる。

ビアを飲みつつカードに興じ、「ナイス」とか何とか言ってんだろう。満月の日に。

 

僕はたぶん、このジョニーと会うことはない。
ジョニーも僕と会うことはたぶんない。
でも、2人ともおそらく確かに存在する。

おそらく確かに、って矛盾してんだけど。
早い話が、世の中に会うことのない人っていうのは存在するちうこと。

 

人間が一生のうちで会うのは、平均して300万人なのだと、何かの話で聞いた。
道ですれ違ったり、駅のホームで時を同じくして待っていたりする人も含めての300万人だそうな。
そのうち、学校や会社といった社会的な組織で関係にある人が何千人で、交友関係は100人くらいだった気がする。
明確な数字は失念してしまったんだが、そんな感じだった。
とどのつまり、自分が捉えられる世界というのは、自ずと存外限られているということ。

 

グローバリゼーションの時代に何言ってんねん、世界なんていくらでも広げられるわ、ANAでびゅん、な。SNSみてみ、友達100人できるかな、どこじゃないわ。
という人もいるやもしれないが、たとえ交流の枠が世界へと拡大したとしても、事情はそんなに変わらんだろう。
関わる人が多くなったとしても、その身はひとつ。どうしても関わり合いに濃淡が生まれる。その濃淡は世界を限定する。

 

だからなんやねん、ちう話だが、だからまあなんというか、身の回りにいる人・いてくれる人はやっぱり大切にした方がいいなあ、て思ったという話。
よく、「この40人のクラスメイトは70億人の中から選ばれた40人なんだ、奇跡なんだ、絆なんだ」とキラキラ語ることがあったりするけど、それとはまた違うのね。
奇跡とか、選ばれたとかそんなんでなく、ただ居るもんは居るってことで、それは奇跡でもなんでもなく当たり前のことなんだけども、その当たり前を大切にした方が多分いい。

当たり前は当たり前だから、そんな毎回・毎日のように大切な気持ちを持つのは難しいんだけれども。
ジョニーのように互いに存在を確かめることもなく、互いにこの世を去っていく人間もあるわけだから。たまにはね。満月の日とか。

達者でジョニー。