光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

町田康 「告白」

ま、町田康の「告白」を読みました。ま、真面目にレビューします。

 

告白 (中公文庫)

告白 (中公文庫)

 

 

わりかし、シンプルな表紙。
ところが中身は厚く、800余ページもありました。文庫本にしてこのボリウム。寝っ転がって読むときは重くてしゃあなかったし、ちょっとした鈍器にもなりうる質量。
そして、内容もとてもひとことでは言い表せぬ、人間の因業を描いた超大作。
まったくもって罪な一冊です。

 

<あらすじ>
城戸熊太郎は愚鈍であった。自らの思想ばかりが彷徨するばかりで、何につけてもヘマを踏み、周囲から嘲られた。さらに悪いことに、熊太郎は意固地であった。見栄っ張りであった。失敗すればするほど、周囲から白い目で見られれば見られるほど、泥沼に嵌っていった。愚かな自分をどこかで悔やみながらも、熊太郎は自ら奈落の底へと降りていった。「あかんではないか」。この一言に、城戸熊太郎の一生涯は尽きる。

善とは何か、悪とは何か。善悪の境目は。
実際にあった事件「河内十人斬り」という大量殺人事件をモチーフにした、人間の因業劇がここに。

 

ネタバレちうい。

 

 

 

読了感。報われねえ。報われねえよ、熊やん。
なんでや。なんでそこで留まらなんだ、引き返さなんだ。なんでこんなことになってんの、今。
読書中、何度思ったことか。あれか、今でいう破滅願望ってやつか。いや、違う。熊太郎の思想は、心の奥底はそんなもんではない。もっとこう、なんちゅうか、絡んだ糸をほどこうと引っ張ったら、どんどんほどけなくなっていく。そして、糸くずの塊となり果てたのが、城戸熊太郎。

 

ヘマばかり狙いすまして打っているような熊太郎にも、転機はいくつもあった。転機というか、ターニングポイントというか、運命の分かれ目というか。
しかし、それをすべて悪い方向へと作用させてしまったのはこれ、熊太郎の意地とあくなき思弁性によるものである。

舐められたくない。下に見られたくない。馬鹿にされたくない。
そのような思いで偽りの自分を演じ続け、城戸熊太郎という役者はいつのまにやら舞台に立たされた。
自分の身に降りかかるあらゆる些事の意味を追求し続け、ある意味蒙昧であった。足元が、現実が見えていなかった。精神世界に生きすぎた。

元はといえば、幼少期の駒回しから角力に至るまでの「権力の誇示」に執着したのがすべての発端だったのかもしれない。
その執着は熊太郎を「虚構のガキ大将」へと昇華させ、駒太郎らとの見えない確執を築いていった。気付くと熊太郎は独りになっていた。

人はこれを「プライド」と呼ぶのだろうか。「矜持」と呼ぶのだろうか。
いずれにせよ、熊太郎はそれらにすがる処世術しか身につけることができなかった。
熊太郎の「あかんかった」たるゆえんである。



 強いて言えば、そんな熊太郎にも一点だけ美点があったように思う。それはどこまでも純粋で、自分をよく見せようとするところ以外は正直であった。しかし、この一点が熊太郎の一番醜悪な部分だったのかもしれないことに最期、熊太郎は気付く。

松永熊次郎をはじめとする権力者たちが、己の利益を最優先するために呼吸のごとく嘘をついていたのと対照的に、自分の不利になったとしても熊太郎は嘘偽りを語ることがなかった。というか、できなかったのかもしれない。

そんなだから、人を信じ、あげくには騙された。
世間知らず、お人好しあるいはカモネギ。いつだって熊太郎は純であった。
人は色んな出会い、交流、別れを通じて、世界は自分が思っているほど美しくなく、正義が通るわけでもない場所であることを思い知る。そして、その中で応用的に生きること、自らの形を正体不明のなにか巨大な枠に合わせる事を学ぶ。生きるために、真実を歪曲させて時には人を蹴落とす、真実に目をつぶることも必要。らしい。なぜなら、綺麗ごとだけではやっていけないから。
しかし哀しきかな、熊太郎はそれを学ぶことができなかった。

吉田拓郎の「流星」を思い出す。

 

たとえば僕が まちがっていても
正直だった悲しさがあるから ・・・流れていく
静けさにまさる 強さは無くて
言葉の中では何を 待てばいい ・・・流れていく

たしかな事など何もなく ただひたすらに君が好き
夢はまぶしく木もれ日透かす 少女の黒髪もどかしく
君の欲しいものは何ですか

 

さりげない日々に つまづいた僕は
星を数える男になったよ ・・・流れていく
遠い人からの誘いは あでやかで
だけど訪ねさまよう風にも 乗り遅れ ・・・流れていく

心をどこか 忘れもの 
ただそれだけで つまはじき
幸せだとは言わないが 不幸ぶるのはがらじゃない
君の欲しいものは何ですか

                         吉田拓郎:流星 

 

さりげない事につまづき続けた。
幼少期から青年期にかけて学べき心を、どこかに忘れてしまったゆえ、熊太郎は世間の主流からはじかれた。

もちろん、熊太郎が完全な善であり、まるまる報われるべきであるわけではない。
強い自分を演じ続け、働かずに遊びほうけ、妻を娶った後も生活を顧みることがなかった。熊太郎はまちがっていた。
まちがってはいたが、おおむね正直だった。

しかし、人を騙さず陥れず、純粋に生きたつもりであったが、最後の最後でそれすらもまがいものであったと熊太郎は思う。気付く。
自分は確かに他人に嘘をつくことはなかった。ただ、その分自分に嘘をつき続けた。
現実の自分を思い知ることがなかった。目を背け続けた。
演じ続けた。偽善だった。エゴであった。結果、底なしの欺瞞であった。

最終的に、熊太郎は自らを嘘つきだと断定した。しかし、やりきれない。

 

 

やたら思弁的であったことも、熊太郎にとっては悪かったのかもしれない。
思弁的であることの解釈はいくつかあると思うけど、物事に対し安易に反射することなく、いったんは自分の脳みそで咀嚼して受け入れる性質を持つことだと思う。
熊太郎は幼少期の自分の立ち位置から、成人後の身の振り方、野良仕事について、男女の仲について、妻・縫の真意について、哀れなドジョウや熊次郎を救うことについてまで、ありとあらゆることに思いを巡らせた。巡り巡って、熊太郎の内には小宇宙がひろがっていた。

思いを巡らせれば当然、いい事も考えれば悪い事も考える。物事を多角的に見ることにもつながるし、それは自然と奥深さを生む。

しかし、そんな熊太郎の思弁性を理解する、推し量ろうとする者はなかった。
まず、熊太郎がその心の内を言葉にして相手に届ける術を持ち合わせていなかった。
そして、周囲はそんなことにいちいち思いを巡らせるということをしなかった。
当たり前のように子供から大人になり、自分と周囲の関係性を感受・甘受し、労働に汗を流し、家庭をもうけ、繁栄を願う。そこに疑問符は生じない。他の人が全く疑問を持っていなかったかといえばそれは違うと思うが、程度は熊太郎と雲泥の差であっただろうし、不合理を受け入れる器も持ち合わせていた。

そんなこんなで、熊太郎と周囲の思考がかみ合うことがなかった。
熊太郎はどこまでも孤独だった。孤独にある思弁、それはもはや独善である。言っちまえば、自慰である。

 

常識とされることがなぜ常識であるのか、を完全に理解・納得し、説明できる人は少ない。周りがそうだから、周りが常識とするから。大方、こんな感じなのだと思う。
通常、こんなことに疑問は持たない。だって、常識だから。
でも、熊太郎は違った。そんな常識にも思いを巡らせてしまった。


これは、強いのか弱いのか、はっきり言ってよく分からない。

熊太郎は疑問を持ち、考えて現状に抗う者として、茨の道を行く強者なのか。それとも現実を受け入れられずに妄想に生きる弱者なのか。
一方、常識とされることを受け入れる人はそれだけの忍耐力を伴った強者なのか。それとも、現実に甘んじるだけで強きに従ずる弱者なのか。
分からない。もしかしたら、強いも弱いもないのか。
松永家が熊太郎と弥五郎に襲撃された事件は、多くの人の共感を呼んだ。
あの時、熊太郎は多くにとっては正義だった。世の中の不合理に屈せずに戦った強者だった。
だが、城戸熊太郎という人間そのものが一貫して正義であったか、強者であったか。分からない。

 

思弁的であること、意地から自分に嘘をつき続けたこと。
それが熊太郎の決定的な過ちであった。うすうす気づいてはいたが、それを直視できなかった。抑止できなかった。
そして最期に告白した。「あかんかった」と。

人間をそら恐ろしく思った。

 

 

本書の解説は作家の石牟礼道子さんが書いている。

世の中には、世間の常識とはどうしても反りがあわず、それなりの良識と純真をもって自分を律していこうとするが、いつしかそれが破綻して人生の敗残者となってしまう人々がいる。

                            849ページ

多分こういう人って表に出てこないだけでいっぱいいるよなあ。
みんながみんな、器用に、常識とされることを常識と思いこみ、岩間に挟まることも滞留することもなく世間の流れとやらに流れることができるわけではない。
なにかふとした事がきっかけで、「なりそこない」の烙印を押される。
そして、その人たちが全くの極悪人、変人、奇人、怪物なわけではないのよねえ。
小島よしお風にいえば、「ヘタこいた」。ヘタこくと落ちるこの世の中は、まさに熊太郎のいうように地獄そのものかもしれない。
とすると、星野源の「じごくでなぜわるい」も思い出す。

 

無駄だ ここは元から楽しい地獄だ
生まれ落ちた時から 出口はないんだ

 

嘘でなにが悪いか 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が 悲しい記憶に勝つ

 

作り物だ 世界は 目の前を染めて広がる
動けない場所から君を 同じ地獄で待つ

                    星野源:じごくでなぜわるい

 

まったくもって強いのか弱いのか、よく分からんわ。

ただひとつ言えるのは、これを書き上げた町田康すげえってことです。
学ぶことがいっぱいあったわ。ありがとう、町田康