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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

うだうだしてたら

よしなし

すばらく書いてませんでした。

ってのも、うだうだとしていたから。真面目にうだうだしていました。こんなに真剣にうだうだしている人間もそうはいないはず。要は、ニートです。正しく言うと、ここ1週間くらいでニートになりました。初心者ですが、よろしくお願いします。

 

1週間くらい前に何があったのか。とある新聞社の採用試験の不合格通知が届きました。とほほ。転職ってやはり難儀なもんであんす。

とはいっても、最後まで通る可能性は1%もないと心のどこかでは感じていたので、まあこんなもんやろ、と変に悟っていましたが、やはりショックはショックだったみたいねんな。なんでいきなり関西弁になるのか、というとなんとなくその方が語感がよかったりする時があるからだね。

 

まあそんなわけで、それまでは「新聞社いくで!いけたらね!」と目標が遥か彼方に見えていたのですが、その目印がなくなってしまったというわけね。
そうするとどうなるかって、日々の目標もたちまちに霧散して、なんとなく無気力な日々を送ることになり、薪割りの習慣も怠ってしまい、世界ではトランプショックが吹き荒れ、日々少子高齢化は進行し、ついにはパククネ大統領が辞任するということになってしまったわけでありまして。今日はブラジルのクラブチームがコロンビア行きの飛行機に乗ったら墜落するしね。ナムさん。

 

ということで元々うだうだした生活がうだうだ度を増して、近所界隈では例をみないウダリストになってしまったわけ。

そんな息子の姿を見た、というか見かねた母さんが何も言わないわけがない。まあ何か厳しめのことを言われたわけではないんだけども、その言葉の端々に憐れみというか、今までにはなかったものがヒシヒシと伝わってくるようになったとさ。ナイーブなわたし、これはたまらん。この世に生を享けた以上、産みの母親を泣かせるようなことだけはしてはならん、とおそらくどこぞの師匠もいうだろうし、そろそろウダリストの道を極めるのも死後の楽しみにとっておくことにして、なんか動き出さんと、具体的に言えば本腰を入れて転職活動とやらをしよう、ということになったのであります。

 

あ、あと財布を落としたのも結構大きなきっかけであんす。
というか、こっちの方が精神的な痛手が大きかったかもわからん。

財布を落とすなんてことは生まれてこのかた皆無で、日々財布のありがたみも感じずに生きてきた報いなのでしょうか。とほほ。

無職の時に財布落とすのは、本当に心身にこたえる。泣きっ面にビー。

今財布を持っている方に伝えたい。あなたは財布に感謝したことがありますか?おそらくないでしょう、というかそれが普通でしょう。財布にありがとう、と言っている奴がいたら少し怖いです、何が入ってるんだろうと思ってしまいます。でも、その財布は知らず知らず、あなたの財政、精神衛生、その他諸々の安定を司っているのです。毎日とは言いませんが、「あ、今日も財布ある!いつもありがとう、財布。・・・こんなこといっつもは言えないけど、ほんとに感謝してるよ」とそこっと言うことをお勧めします。
母の日、父の日、敬老の日にはそれぞれ、母さんや父さんやジジババにお礼を言ったりすることもあるでしょう。身内だから恥ずかしい、けど感謝してるし一年に一回くらいは素直になってもいいかもネ、というのがその日です、たぶん。しかし悲しきかな、財布にはそういう日がありません。そこでなんかのついでに財布に感謝を示す日があってもいいんではないでしょうか、というのが25歳無職の意見です。

物には魂が宿る、という中国の古い言い伝えもあるので、感謝しておけば財布にも魂が宿って、落ちた時に「ちょ、ちょまてよ」と警告してくれるかもしれません。わし(わたし)を置いて行かないで!と。

 

 

とまあ、好き放題に脱線しましたが、財布を落としたこと、このままウダリストでいると心身に異常をきたすと判断したので、ちゃんと転職活動してみようとなったわけであんす。あとこのブログもちゃんと書こうと。

 

目標は大事だなあ。ね。

 

PS:財布を落としたことに気付き、東奔西走しているまさにその時、実の姉が娘っ子を出産していた。あんれまあ、色々騒がしいこと。財布はともかく(でもないんだけど)、母子ともに無事でなにより。