光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

土鍋のはなし

最近、というか3日前くらいからなのだが、午前3時くらいに起きるという生活をしている。

起きるというより、目が覚めるといった方が正しいかもしれない。
どういうメカニズムでその時間に起きるかは、文学畑で農耕馬を使って自らの足りない脳みそを耕してきた私ではよく分からないのだが、とにかくその時間に起きてしまう。

 

そんな朝か夜かもわからん丑三つ時に目が覚めちゃったんなら、また寝ればいいじゃない。という人もいるだろうが、そうすると僕は午前12時の鐘が鳴るまで寝てしまうことになりかねる。

僕は25歳という世間でいってみれば立派な働き手ということになるが、どうもそうそううまくはいかないようで、未だに惰眠をむさぼるという生活が許されてしまうというどうしようもない境遇にいる。

いる、というと誰かにされたようであるが、自分で置いてしまったのである。この判断が正しいのか間違っているのか、それが分かるのは多分10年とか20年とか先のことなんだろうが、まあ現時点ではまずまずといったところかもしれない。

 

まずまずなんていうと、強がりのようでもあるが、実際強がりな感じだ。
今、同い年で毎日薪を割って、読書をして、いっぱしの生産的な社会貢献はしていない生活している人間が他にいたら、その人とひがな一日話をしてみたい。ひとまず、僕らは時代の主潮流からは外れてしまっているけど、どうしよう、と。

どうしようかね、まあネコとでも遊ぼう、といって猫じゃらしを刈りに行ってしまうことを想像してしまうあたりでもう既に先祖代々に申し訳ない感じである。

 

まあそういうちょっとした負い目もあって、せめて惰眠の暴食と二度寝だけはやめてくれ、という自分への願い・陳情もあってこのような朝か夜かも分からん時間に起きることにしたのである。

 

 

そんな感じで今は米が炊けるのを待っている。
ニワトリよりも早く起きて朝餉の準備をするなど、健康的な生活そのものだとささやかな幸せを感じる。

我が家には今、炊飯器という現代の利器が存在していないので、土でできた鍋でわざわざ米を炊いているのだが、これが意外といいものだと最近気づいた。

 

土鍋で炊くことで米自体がおいしくなるらしいのだが、生まれてこの方文学畑でパセリのように苦くてポテトの飾りにしかならないような知識しか育んでこなかったため、そのおいしくなる仕組みはよく分からない。

加えて僕はそこまで味覚がいいわけでもないので、この土鍋の恩恵はなかなか与りにくいという極めてかわいそうな人間である。

 

しかし、この土鍋の何がいいかというと、それはひたすらに面倒くさいことにある。

まず、火加減が土鍋炊きの命である。強火で5分、煙が出てきたら弱火で13分炊くのだが、この「煙が出てきたら」というのがこれまた厄介なのだ。

煙が出てくる前兆としてフツフツと音がし始め、次に煙が出てきて、やがて泡も出てくる。このどの段階が一番適しているのかがよく分からない。

いや、「煙がでてきたら」と言っているのだから、煙が出てきたら弱火にすればいいのだろうが、なんとなくそれでは物足りない気がして、泡がそれなりに出るまで強火でやってしまう。少しくらいの焦げがつくくらいなら炊けないよりマシだ、おこげは女性に人気だし、という冷静になって考えてみると支離滅裂な考えでだいたい「焦げ」てしまう。

でも、人間ていうのはそもそも支離滅裂なもんだ、と急に悟ったりもするので、この行いはなかなか直らない。そもそも直す気もあまりないのかもしれないが、たまに「今日は少し早めにしてみよう」ということにしてみたりすると、やっぱり焦げない。

 

ということで5回に1回くらいから、3回に1回はおこげがない米を食べられるようになっている。

こうしたことも日々の失敗と反省がもたらしてくれる、僕の数少ない成長の証であるから大事にしてやりたい。

 

また、困るのが保温が効かないことである。保温が効かないというのは平成に生まれた僕にとってはなかなかに厳しい現実である。

もっとも厳しい現実というのは、冷たいごはんとは比べ物にならないくらい厳しいものもあるわけだから、このくらいでめげている場合ではないと自分を叱咤激励してやりたい。

 

さらに、時には5分と13分を待っている間に他のことに夢中になって(掃除とか)、業火に熱されるお米たちのことを忘れてしまうことがある。
すると、お米たちは下半分がこんがりと黒くなってふてくされ、なかなかに食べづらくなってしまうこともある。

自分の散らばってしまった注意力に原因があるのだが、実にめんどくさい代物だなあと毒づいてしまう。そして、夢みるゾウジルシの炊飯器に想いを馳せることになる。

 

とはいえ、手のかかる問題児ほどかわいいとどこかの誰かが言っていたように、
このしち面倒くさい土鍋もそれだけに結構思い入れのある存在となってきた。

 

そんなわけで丁度めんどくさいご飯が炊けたので、オムレツでも作って食べようと思う。

おしまい