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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

<レビウ>森見登美彦「太陽の塔」

書評 森見登美彦

どうも、ちゃんたけです。

前の記事(↓)でレビュー的なものを書くと言っておきながら、ゴキブリトークに1人で勝手に一輪の花を咲かせてしまい収拾がつかなくなってしまったので、次回に持ち込みました。

 

jusdayo.hatenablog.com

 

というわけで、直近で読んだ森見登美彦太陽の塔」の感想と、作中でゴキブリにまつわる話があったので、その話を。

もしかしたらネタバレというやつかもしれませんが、なにぶんレビューなるものを書くのが初めてなので、どこまで書いても良いものか分かりかねる私です。うーむ、ひとまず書いてみよう。

 

◆今回のお話

森見登美彦太陽の塔」読了感

 

太陽の塔

 

 

表紙はこんなんです。左上に太陽の塔が雄々しくそびえ立っていますね。

こんなでかくねえだろ、と突っ込んでみたくもなりますが、まあ本物見た事ないし、「でかいものはいい」と宣った福原くんという僕の友人の言葉を信じて、「この表紙はイイ!」ということにしましょう。

実際、街に灯りがともっている景色と、それを包み込むような太陽の塔と夕暮れ時の空、そしてその光景を鳥瞰で捉えているところは、なんともノスタルジイ溢れる絵だなあ。よく見ると、手前に天空の階段があったり、異常な大きさの電車、三重塔もありますね。うーむ、マーベラス

 

 

物語の舞台は古都・京都。
京都大学に通う奇人変人のお話です。

簡単にあらすじをば。

 

京都大学農学部五回生(西日本では年生ではなく回生で呼ぶんですね)の「私」の周りには女人の姿はかけらほどもなく、むさくるしい男衆しか集まってこない。

しかし、そんな「私」にもかつて彼女なる存在があった。彼女の名前は水尾さん。しかし、水尾さんは「私」を振ってしまう。そんな「私」が現在没頭しているものといえば、「水尾さん研究」なるものだ。これはけしてストーカー行為ではないと言い張る「私」であるが、そこへ同じように水尾さんの後を追う人物が登場する・・・。

時移ろいて、今年もクリスマスがやってくる。街は幸せに浮かれた恋人たちで溢れかえる季節。手をつなぐ恋人のいない「私」たち男衆は、互いに手を取りこの聖夜にある画策を講じることになった。さて、今年の聖夜はいかなるものに-。

 

 

まず前回から引きずっているゴキブリ関連のお話です。ここから若干ネタバレやもしれません。

・ゴキブリキューブ

「私」と水尾さんをめぐって?遠藤という青年が嫌がらせの応酬を繰り広げるのですが、それに使われたのが「ゴキブリキューブ」という代物。これがものすごい威力を持つ兵器でした。まさに生物兵器。以下引用です。

ゴキブリキューブを御存知だろうか。それは長いこと放置されていた段ボール箱の中や流し台の下などによく見られ、豆腐のような形をしている。焦茶色をしてテカテカと油じみた光を放つ。そして、表面が常にむくむくとざわついている。よく観察すると、そのざわついているものは一匹一匹のゴキブリが動いているのだと分かるだろう。(略)私は親愛なる遠藤氏に贈るクリスマスプレゼントを見つけたと思った。生命の神秘を丸ごと贈るのであるから、きっと大喜びしてくれるに違いない。彼も生命の力強さに触れれば、恋愛などという愚かしい妄想に右往左往することもなくなるであろう。(本文91,92ページ)

 

昨夜未明、ゴキブリとの死闘を終えた僕は、その日に読んだこのゴキブリキューブを思い返してしまった。

1匹でさえあれだけの存在感を放つ奴らが、豆腐のように四角く密集してモゾモゾと動いているところを想像するだけで言葉を失ってしまう。正気も失うかもしれない。

それが密集を解いて、個体でバラバラと蜘蛛の子を散らしたように四方へ飛び出したとしたら、僕は家をそのまま人に譲るかもしれない。蜘蛛の子などかわいいもんだ。

 

そんなゴキブリキューブに関する身の毛もよだつ話であるが、森見登美彦はさすがというべきか、このへんの描写も実に軽快に記している。ゴキブリボールを送られた遠藤が、「私」に同じように贈り返す場面や、その処理をしている「私」の姿なども読んでいてほほえましい。他人事だからほほえましくなんかなっているが、もし自分の身に・・・と思うと恐ろしい。このへんの恐怖を与える文章は、森見登美彦の筆力か、それともゴキブリが生来持つ破壊力か。
おそらく、その両方だろう。

 

はい、ゴキブリの話おしまいです。

この話でも思いましたが、とにもかくにも、森見登美彦は筆力がものすごい。

 

森見登美彦の文章は美しい

美しいって言っても、れっきとした作家なんだから文章がうまくて当たり前だろう、って話ですが、森見登美彦の紡ぐ言葉は他とは一線を画している気がする。
語彙の豊富さ、流れるような文章、そして情景をありありと醸し出す一人称。
脱帽です。万回くらい脱帽しても足りないくらい、彼の文章を追うことには爽快感のようなものがある。気がする。

作者の本は『夜は短し走れよ乙女』くらいしか読んだことがなかったが、その時はそこまでこの彼の文章のすばらしさに気付かなかった。

森見節というんでしょうか。この『太陽の塔』はデビュー作ということだけど、最初からこんな力のある美しい文章を書いていたんですね。マンダム。

他の作品でもこの点は変わらないんでしょうが、とにかく感銘を受けたよ。
他の作品も気になって仕方ない、こりゃ。

 

・大雑把で美しい登場人物とその生活

主人公は大学5年目になっていますが、ストレートに大学を4年で出なかったということですね。世間一般的に、いわゆる「ちょっとしたハミだし者」というところでしょうか。まあ普通の人たちとは何かが少しズレて違っているからこそなのか、やっぱり主人公の周りに集まる人たちは変な人ばかりです。それぞれがそれぞれの妄想を抱き、変人奇人の道を行く。

 

中でも、高薮という男がとても魅力的です。

全長二メートルに及ぶ巨体、呆れるほどポケットのついた怪しげなジャケット、怪鳥の巣のような蓬髪、顎から頬を砂鉄のようにびっしりと覆う無精髭、ぎらぎらと過剰な好奇心に輝く瞳。(本文128ページ)

このような外見をしていながら、あらゆる事柄・分野に精通しており、その心根は繊細そのもので、女性に言い寄られようものなら、スタコラサッサと逃げて電話で「助けてくれえ」と助けを乞う。
なんと愛すべき存在なのでしょうか。ギャップの塊といってもおかしくない、非常に魅力的な人物です。

その他にも「私」の友人が4,5人いますが、皆どこか変で芯が通っていて、「まあ飲めよ」とコップを前に出してしまいたくなるような面々ですね。

 

個人的な話ですが、この登場人物とその生活には自分の大学生活を彷彿とさせるものがありました。

ある大学の学寮に5年間住んでいましたが、こんな人たちばかり。高薮の外見をそのまま現実に持ってきてしまったような。クリスマスとかそういうものにも、なんとなく不器用で、惰眠をむさぼる場面などはひどく納得してしまいました。

 

大学生が赤ん坊の次によく眠る人種であることは言うまでもない。経験から言えば、睡眠時間が八時間を超えると、残りの時間はさまざまな夢を味わうことに費やされる。余分な睡眠は何も生まない。ただ夢だけを生む。(本文189ページ)


うーむ、美しい。

確かに、彼らの生活はなんら生産的ではなく、ただただ妄想に耽っているだけなのですが、やっぱり美しいんですね。

森見登美彦の文章にかかっているからかもしれませんが、彼らが彼らにしかない芯のある考えに基づき行動するその一点に、美学があるのかしれません。

 

・クライマックスがなんともはや

クリスマスイブに主人公たちは「ええじゃないか騒動」という画策を講じます。

何をするのかよく分かりませんが、とにかく彼らはこの画策を見事に成功させ、通り一遍のクリスマスイブを破壊します。

それは彼らの勝利であり、追い詰められたネズミがネコにひと噛みお見舞いするようなものですが、それはなかなか爽快なラストでした。

 

それまで自分を強く保ってきた「私」が、水尾さんのあとを追いかけ、最後に泣いてしまうシーンがなんともはや。

 

色々と胸を打つクライマックスです。

 

 

とまあそんな感じの読書でした。

京大生とその町京都を舞台にしたお話としてとても面白く読めましたが、やはり一番魅了されたのは森見登美彦の文章です。

筆舌にしがたい心地よさ。

次は四畳半神話大系を読んでみようと思います。

 

 

PS:レビューはむずいな。ですます調と、である調は一緒にしない方がいいんだろうか