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暇人のイマジン

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

些事の海で

よしなし

ハイジ、見終わってしまった・・・・。

ハイジが終わるのがこんなに悲しいものだとは・・・。こんなことなら見始めなきゃよかったとすら思ってしまう・・。

まあ、ハイジに限らず見続けていたものが終わってしまうというのは、なんとも物悲しいものだよ。一方的に「はい、おしまい」て。そりゃあまりにも非情だよ、ペーターよ。勝海舟じゃないんだから。

 

でも現実に立ち返ってみると、確かにアルプスの山小屋に想いを馳せている場合ではない、ということに気づかされる。
そう、ハイジなんか見てる場合ではない。

ひとまず来月受けるかもしれない新聞社の試験勉強をしなくてはならない。

あと、隣の離れも掃除しなくてはならないし、凍えないように薪も割らなくてはならない。森博嗣に関する書評も書かなくてはならない。米を炊いた土鍋も洗わなくてはならない。明日来るであろう姪っ子の遊び相手もしなくてはならない・・・これはまあよしとしよう。子供を相手に何かするというのは、なかなか気づかされるものがある。

 

 

うーむ、しなくてはならないことが多すぎる。

とかいうと、「働いてもないくせに何に言ってんだこいつ・・・」と白い目で見てくる者もいるだろうし、中にはなんの琴線に触れたのか金剛力士像の形相よろしく怒り狂う者すらいるかもしれない。
それは全くの正論なので、僕は他の動作を忘れた人形のように謝るしかない。

 

でもしなくてはならないことなんて、本当はそんなにないだろう、という哲学めいたものが脳みそをかすっていったが、こういう些事にかまけてきたから、今こうして常陸の国の片田舎で斧をふるっているのだともいえる。

本当に些事ばっかりだ、ああ本当に。

 

そんな些事の大海で頼りない流木につかまりながらプカプカ浮いているような、取り立てて飾り気のない毎日を送っているが、今日はいいことがひとつあった。

 

ごはんがおいしくできたのである。
生来、食に関してはそこまで執着の無い人物で徹してきたつもりではあるが、やはり良い食事というのは、なかなかどうして嬉しいものである。

 

今日作ったのは、バターライスと目玉焼き。
クックパッドにレシピを載せたとしても主婦たちから「こんなの今日の献立には使えないわ。今日もカレーね」とないがしろにされるのが落ちであるが、一人で作って食べる分には献立を考える事など、道端に落ちている小石の構成成分よりも取るに足らない事である。

 

写真がないのが無念であるが、レシピ的なものをここに残そう。

まず、「このくらい食べたいな、米」という食欲にぴったりとフィットする器に食べたいだけの米を盛る。この時真ん中にくぼみを作り、なおかつ炊き立ての白米を用意するのがベストである。

次にくぼみにバターのかけらを落とし、周りの米でそれを覆う。炊き立ての白米を使うことで、熱エネルギーによりバターを徐々に溶かしていく。

バターが熱さに耐えきれずにとろけている間に熱したフライパンに油を引き、鶏卵を投下する。僕はドロドロの黄身が好きではない人間、いわゆる完熟派なので熱が通るように水を適当に振りまき、適当なフタで蒸らしにかかる。

黄身が適度に固まったらあらびき胡椒を振り、バターのフタである白米をならしてそこに目玉焼きを乗せる。

最後に仕上げとして目玉焼きにプスプスと穴をあけ、醤油をたらし込む。

あとは水道水でもコップに注いで、できあがり。

 

バターと醤油、白米、そして目玉焼きの白身と黄身がこんなにもハーモニウスだとは。学校じゃこんなこと教えてくれなかった。

うーむ、グレイト。

 

おいしさを文章にするのはなかなか難しい。

 

 

PS:日本シリーズ、広島が最終戦で優勝するのが一番美しかったのに・・・。
それにつけても、日本ハムはおめでとうございました。