光る水面のドブイナジー

書評とイマジンを、だだもらしていこうというヴログ。

煉獄の保護団体

最も近い頃のことを世間では最近というけども、その最近のこと。
近頃のマイブームについて申し上げる。

そのマイブームとは、カナブンを投げることである。
驚くなかれ、やつらは投げると必ず、羽ばたく。そして飛んでいく。
これまでに92回くらいこの投擲を繰り返しているが、一度たりとも奴らが羽ばたかなかったことはこれ、皆無である。

よく、いい反応がない人のことをさして「打っても響かない鐘のよう」と表現することがあるが、カナブンに例えるなら「投げても飛ばないカナブンのよう」。
ちょっとずれているような気もするが、まあそんなところ。

っていうかカナブンを投げる、という日本語はあまり耳にしないため、そのイメージが難しく、面白さや感動があまりうまく伝えられないのが癪であるが、このカナブン投げは私が自信をもっておすすめできる、数少ない活動である。

唯一の懸念としては、まさかいないとは思うが、昨今は野生動物・自然保護活動が盛んな時代であり、カナブンもそのカテゴリーにどちらかというと入っているため、カナブン保護団体が存在する可能性がある、ということ。

カナブン保護団体の人にこのマイブームを知られるようなことがあったら、「カナブンを投げるのはやめていただけますか、即刻。あなた、投げられるカナブンの気持ちになったことありますか、ないでしょう。カナブンは緑色で、きれいで頭のいい昆虫なのよ、それを投げていい道理がありますか、ないでしょう」とカナブン保護論を展開されるに決まっており、そうなるとそういう保護団体の人たちは聞く耳を持っていないことが多いためいくら反論しても議論は平行線をみはるかすばかりで、最終的には家に不幸の手紙が届いたり、夜中2時くらいに非通知で「わたし、カナブン。今あなたのうしろにいるの」と電話(line 通話)がかかってきたり、みそ汁にホタルが入っていたりと嫌なことがあると思う。


だからこれからはカナブンを投げるのをやめようと思う。


という決意はそこまでカナブン投げに没頭していない半端者がすることであり、すでに色々と半端者の私はせめてカナブン投げくらいは半端者の烙印から逃れようと思うので、これからも誠心誠意、カナブンを投げることに努めていきたい。

敬具。

ニセコ

何もいない廃墟に巣をかける蜘蛛や、水溜まりに卵を産み落とす蜻蛉や、その水溜まりに泳ぐおたまじゃくしを見かけると、

なんというか、おどろな感情を覚える。
まったくの意味のない活動である。
本来生産的であるはずの行動さえ非生産的なものとし、それだけにかえって元来は生産的であったという事実が、何よりもかなしい。
なにゆえ、君たちはそんなことをするのか。
君たちは阿呆なのか。阿呆なんだろう。

虫はほんとに阿呆ばかり。